|
秋田の講演会、3名の秋田大学の医学生さんが聴講してくれていました。
講演の後、新生児科医になろうと思っているという志を
伝えてくれた小林くんと松田さんです。
自分は講演で、コウノドリ3を期待するのでなく、
自分たちが「コウノドリの先の未来」を現実に作っていきたいという
気持ちを伝えたのですが、その未来を託したい医学生さんたちとの
出会いでした。
そして、4年生の大木さん。
このブログにも以下に登場してくれています。
で秋田に出発するのを見送った自分でした。
NICUでお子さんの死を悲しんだことが
あるご家族、NICUに兄弟が入院したことがあり
それを契機に医療者を目指しているご兄弟
にはぜひ、上記に心寄せつつ、下記お読み頂ければ
と思えています。
自分が医師になって1年目にNICUで担当した
患者さん;しょうたろうくん、
初めて赤ちゃんの死を見届けた患者さんの
妹さん。そして、生まれるのを緊張しながら見守った
日を覚えている大木さんです。
24年前に、しょうたろう君の死を一緒に悲しんだ日を
想い出せば、その妹さんが医学部に進んで自分の講演を
徴候してくれることを幸せに思えました。
24年間、NICUで感じていたことなどを
託したい、その先を目指して欲しい、24年前に
死を見届けたお兄さんの人生の意味を考え続けて欲しい
という気持ちも込めてお話ししました。
講演の中で
「ドラマよりも現実のNICUは奇跡に思えることがある」
「現実のNICUはドラマよりドラマティックなことがある」
と思えてきたことを話しました。
24年前にNICUで死を見届けた初めての赤ちゃんの
妹さんがNICU研修を始める一週間前に偶然、自分が
秋田に講演に呼ばれ、そして、期せずして赤ちゃんの
死についての講演をしたことが偶然とは思えない
天啓にすら感じました。
人の一生の意味はその人が天に還った後も
その人を知る人達が覚えていて、その死を踏まえて生きていく
ことで変わっていく、人生は続いていくと改めて思えました。 妹との再会に新生児科医を続けてきてよかったと思えた
旅でした。
秋田の皆様に来週からのNICU研修を託してこれて
嬉しく思っていました。
川辺。
噴水を散歩しながら、
ちょうど24時間の秋田滞在を終え、秋田赤十字病院を
見ながら空港に戻りました。
また、いつか秋田に来れるといいな・・・と思いつつ、
印象深い再会がたくさんあった秋田を後にしました。
妹さんはしょうちゃんの見守りの中でいい医学生だったよと
伝えていました。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2018年11月12日
全1ページ
[1]
|
秋田の旅日記の続きです。
秋田赤十字病院と秋田大学は1つのグループであり
県全体の新生児医療の連携がいいといつも思えています。
「周産期医療の質と安全の向上のための
研究プロジェクト(INTACT)」
でも訪問させていただきましたが
その当時を思い出すと秋田の人財が
厚くなっている気がして居ました。
リーダーの新井先生のお人柄やビジョンが
浸透している気がします。
講演には神奈川こどもNICUで研修してくださった
先生方が駆けつけてくださいました。懐かしい先生方の
前で、最近の神奈川こどもの話を報告できることを
心温かく思えていました。
自分が医師1年目の時に、独身寮の隣部屋で
新生児科研修を受けていた先輩医師に、
自分の1年目時代を思い出しながら感慨深く
聞いていたと言ってもらえて
自分も不思議な気がしました。
当時の指導医の先生達の近況を聞かれ、
猪谷・大山・川滝・星野・松井先生と皆、こども医療センターに
残り自分を支援しながらそれぞれの役目を続けてくれています。
と報告したら喜んでいましたね。
25年のNICUの閉鎖が近づいていることを伝え、また、
自分たちの先輩医師の定年も近く今、神奈川こどもにまた
訪問したいと言ってくれてうれしい再会でした。
秋田大学は川滝先生の母校であったり、
自分が小児循環器研修していた頃、一緒に
研修していた豊野先生がいらっしゃったりと
ご縁が多い地であり、離れていても身近に
感じ合う秋田と神奈川だと思えます。
懇親会でも小児外科の吉野先生や看護師さん達、
HPSの松平先生と様々お話出きて心地よい時間でした。
1年間、指導医をさせてもらった伊藤智夫先生、
今回、たくさん話せてうれしい時間でした。
研究会、懇親会などの行動や周囲との会話の
風景を見て、すごく頼もしくなったというと素敵な
新生児科医に成長されているのを感じました。
自分は智夫先生と一緒に担当した患者さんたちの
フォローアップ外来でのその先を伝えてましたが
患者さんのことをよく覚えている伊藤先生でした。
皆、研修医時代に担当した赤ちゃんは名前や体重、
経過、ご家族と交わした言葉などを鮮明に覚えているます。
それだけ濃密に関わっているのだと思えます。
勉強頑張っている子、習い事頑張っている子、
それぞれが困っていること、
ママさんがお子さんの子育てを経て、
看護学校に入学・卒業して、看護師さんとして
働き始めたママさんがいたり、それぞれのその後の
人生を伝えられて嬉しく感じる時間でした。
<大陸的な男>と大山先生に名付けられていた
伊藤智夫先生。当時から泰然とした研修医でした。
上記の動画の頃の研修医。今の半分くらいの人数で
NICUを診ていた頃です。伊藤先生達の踏ん張りがあったからこそ、
今があると伝えた自分でした。
伊藤先生、「コウノドリ」を見ると当時を思い出す、
豊島先生が関わっている言葉だなと思うことがたくさんあって
懐かしかった。。。と伝えてくれました。
自分はペルソナのイメージは確かに伊藤先生と
働いていた頃のイメージだったと思うので伊藤先生達と
交わした言葉がドラマにも反映しているかも。。。と
伝えたりしました。
自分は伊藤先生が地元で新生児医療を続けている、そして
中心的な存在になってくれていることに心強くて秋田に訪問
してよかったよという気持ちを伝えてきました。
秋田には
「周産期医療の質と安全の向上のための
研究プロジェクト(INTACT)」で知り合い、埼玉医科大学留学中に
NICU野球親睦会などを手伝ってくれて
仲良くなった伊藤誠一先生もいらっしゃいます。
秋田で実験と臨床を頑張っているのを
嬉しく思いました。
前回の訪問で出会った太田先生、5年経って
明るく、チームで存在感を放って頑張り続けていることを
感じ、嬉しく感じました。
秋田のメンバーは心温かな
メンバーが多いと改めて感じました。
で出会い、
新生児科医を志していると聞いて嬉しかった
高橋先生。
発表、3次元エコーなどを語り合う時間に
高橋先生もどんどん成長しているのを感じて
嬉しく感じました。大学院終えたら神奈川こどもに
国内留学していいと伝えてくれた新井先生の言葉に
喜んでくれる高橋先生に、自分も嬉しく実現したら
嬉しいと思えていました。
素敵なバーで深夜まで語り合いましたが
秋田は個性的なそれぞれのメンバーを家族的というか
兄弟的というかじゃれ合いながら仲良く医療している
感じに思えました。
コウノドリの講演の中で、省いたのは今橋先生と
小松さんが語り合うシーンで、このシーンは新井先生にも
通じるかなと思えていたシーンがありました。
「NICUで一緒に働くメンバーを家族のように思えている。
NICUで働くには心の寿命もあって、いつまでも働けないかなと
思いつつ、自分も必要としてくれているのを嬉しくも感じ、
自分のためにも今はまだ頑張ろうと思っている」
というようなシーンです。これ、自分が楽屋でプロデューサーさんと
話していた言葉がそのまま、台詞になったようなシーンなのですが
新井先生も同じような気持ちじゃないかなと思えて講演で話した
かったのですが後半、時間超えていたので泣く泣くはしょった
シーンでした。
血が繋がっていようと繋がっていなかろうと
お互いに想い合うのが家族というシーンがコウノドリの
最終回でサクラ先生・小松さん・四ノ宮先生の別れのシーンでも
ありましたが、
秋田ブラザーズというか、We are good familyという
フレーズがぴったりな気がした秋田の皆様でした。
自分も親戚的に加われたらと思えていました。
自分でも秋田旅日記、明日改めて書き残させて
いただきます。
|
全1ページ
[1]

