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に入院中のことなどを書いているけんとくん。
このブログに繰り返し登場してくださいました。
村田さんに野球招待されて以来、NICU野球親睦会にも
繰り返し参加していましたね。巨人の野球帽がトレードマークになっていましたね。
村田さんが巨人をやめたときは
残念さも込めて野球帽をやめていたのですが 16年目に言葉を話し始めたこと、「先生」と担当して
16年目で挨拶してくれた日。
どこまで生きれるか?わからないという中で
日々を大切に生きていたご家族の積み重ねてきた時間
が辿り着いている未来に感動していました。
ひとにはそれぞれの発達のスピードがある、、、
けんちゃんは言葉を話せないのではなく、言葉を話せる
日に一歩一歩発達していたんだと改めて実感した時でした。 そのけんちゃん、村田さん巨人復帰祝いで再度、巨人帽を
被ってNICU卒業生のフォローアップ外来にきてくれました。
けんちゃんは歳をとらない、変わらぬ
愛らしさに会えることを外来で会えることを嬉しく感じます。
「せ・ん・せ・い」と声をかけてくれてこの日も嬉しく感じました。
高校卒業した後、どうしていくか?などをママさんからお聞きした
時間。学校を卒業することはご家族の地域生活も変わっていくわけで
地元で多くの人と相談していること、迷っていることなどをお聞きしました。
18歳、こども医療センターのたくさんの診療科に応援されてきた
けんとくんですが、成人医療移行も考える時期です。その不安も
よくわかる自分です。
「人にはそれぞれの寿命があるかもしれない。
けんちゃんにも幼い時、しっかりするとき、中年のように調子がいいときと
悪いときが混在するとき、老人のように身体機能が低下していくときという
人生のサイクルがあると思います。けんちゃんにとっても
だんだん健康でなくなくなってくる時期がくると思います。
いつまでも小児科でみていることが
けんちゃんのためになるかというと、成人病や老化への医療がわかる
成人のお医者さんに移行していくことは必要な気がします」
と話した外来でした。
「新生児のフォローアップ外来でけんちゃんの成長や発達が
みれなくなるのは自分もすごく寂しいけど、卒業の日をいつか
讃えたい気もしています」と話した外来でした。
けんちゃんのお兄ちゃんが医学部に入学したことに続き、
お姉ちゃんが27歳にして医学部に入学、医師になる夢を決して
あきらめずに勉強し続けた夢が成就したことを外来でお聞きして
これも感動。お兄ちゃんやお姉ちゃんが医師を志そうとしたことに
きっとけんちゃんの存在、けんちゃんによりそったママさんやパパさんの
背中があるんだと思えていました。
けんちゃんの命がお姉ちゃんやお兄ちゃんが患者さんや家族の
命や生活に寄り添おうとする
医師になってくれることにつながる気がする。
そして、けんちゃんのお兄ちゃんやお姉ちゃんが
未来の医療で命を応援する、
支える医師になってくれる日を自分も心待ちしていたいと
思います。
来週もそれぞれの場所でそれぞれの役目を
頑張って生きていきましょう。
下記、引き続きみなさまよろしくお願いいたします。
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で横浜が1位ということでした。
2005年から連続1位ということ、
自分たちの住む街が住みたい街と思ってもらえるのは嬉しく感じます。
今月から山口県からNICU国内留学開始の藤本先生、
今週から短期研修の千葉の飯島先生とともにNICUで存在感を
発揮してくれていた先週でした。
NICUの各ベッドサイドで診療を手伝いながら
横浜の診療をしっかり追体験してくれています。
先々週で研修終了だった
ジュニアレジデントでNICU当直までしっかり役目を果たしてくれた
西條先生の送別会とともに藤本先生の歓迎会、北海道、東京、静岡、
福岡、沖縄と様々な場所から今は横浜にと集っているそれぞれが
心強く感じる後輩世代の先生方と語らいでした。
訪問看護ステーションの歓迎会が同じ場所で開催でなんとなく
合流気味になった明るい藤本先生の歓迎会でした。
山口生まれの山口育ち、山口大学卒業、入局と考えると
藤本先生の人生にとってもかけがえのない時間になるんだろうなと
思えていました。
4月から新生児科スタッフになってくれた江原先生と
スカイラブハリケーンやツインシュートを放ちそうな
素敵なコンビぶりを感じます。
二人の笑顔を絶やさず明るく赤ちゃんとご家族に
向き合う姿勢に感謝していました。
看護師さんに3人がオーラにている気がするといわれたので
オーラの似ている3人で記念撮影でした。
研修も国内留学も大歓迎です。
「住みたい街:横浜」で研修したい小児病院NICUを
目指していけたらと思っています。
下記、引き続きみなさまよろしくお願いいたします。
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本日は中野駅周辺にいました。新宿で生まれ育った自分には
中野は隣町で高校以来、降り立った気がする中野駅、
変化がありつつ、面影のある街並みでした。
中野にきた理由は以下のセミナーでの
講演のお依頼をお受けしたからでした。 のセミナーで講師のご依頼を受けることを大変光栄に思えていました。
日本ディベロップメンタルケア(DC)研究会のHPに設立の趣旨として
NICUの臨床において、あたたかい心を育むやさしさの医療と看護、適切な発達を促す環境と刺激、親子の関係性を育むことを基本理念としたDCを推進することを目的としています。 と記載されている研究会です。
よりよく応援したいという日本全国のNICUスタッフや理学療法士
さんたちが集まる会場。その熱気あふれる会場に感動しました。
「NICU循環管理とディベロップメンタルケア(DC)」
というテーマで1時間お話しさせていただきました。
脳性麻痺などの原因になる脳室内出血予防を目指した
循環管理や未熟児動脈管開存症や新生児心エコーに
ついてを30分近くお話ししつつ、
NICU卒業生のフォローアップ外来を20年間担当してきて
ご家族から気づかせてもらえたことをお伝えしつつ、
NICUの改築で5年間考えてきたこと、
後2ヶ月で完成するリニューアルNICUに込めたビジョンなどを
お話しさせていただきました。
赤ちゃんの発達支援や家族支援を大切にする人たちの集まりと
思えるディベロップメンタルケア研究会で講演することに緊張したのですが
講演後の質疑応答や懇親会での様々なご感想やご質問を聞き、
役目を果たせたことを安堵する本日でした。
200名を超えるご参加の皆様にはご感想など
コメント欄にお寄せ頂ければありがたく感じます。
自分以外のご講演や懇親会のでの交流で様々な気づきがあった本日でも
あります。この研究会の報告2を改めて後日書かせていただきます。
本日も皆様、それぞれにお疲れ様でした。
明日もそれぞれの場所でそれぞれの役目を頑張って
生きていけるといいですね。
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切迫早産で母体搬送になった日に出会ったみらいくん
ご家族。
在胎23週で生まれた当日がファミリーフォトの日でしたね。
みらいくんご家族のNICU卒業までの軌跡を
以下に再掲させてもらいました。
ファミリーフォトの意義を伝えてくれた気がする
みらいくんご家族でした。
の頃にNICUにいたご家族です。
NICU卒業から3ヶ月。
小児科に再入院などありましたが
NICU卒業生のフォローアップ外来についにきてくださいました。
NICU卒業してからの様々なことをお聞きして、大変だったことも
シェアしながら外来での再会を喜んだNICU卒業生のフォローアップ外来
でした。林先生も外来に顔を出してくれて嬉しそうでしたね。
みらいくん、たくましくなった気がしてNICUで見守ったスタッフにも
伝えたい成長ぶりでした。
新生児慢性肺疾患のお子さんは2,3歳までは小児科に入院することも
あるけどずっとは入院は繰り返させない。いつかはよくなるから
その日を信じて、頑張っていきましょうと伝えたこの日でした。
やはり在宅酸素療法で退院したくるみちゃん
<オランダへようこそ>の朗読シーンで
登場していたこども医療センターNICUです。
この時、一番生まれたばかりだったくるみちゃんが
いた保育器も写っていました。上記のシーンの右側、
手前から2番目の保育器でした。
ちょうど1年前にNICU卒業。1年間、在宅酸素療法や小児科入院なども
ありましたが、
ゼーゼーすることもあるけど、ママさんとパパさん、
酸素も内服薬も一旦中止でいいかなという笑顔が優しくて力強く
感じました。
酸素なく身軽に外来で会計を待つくるみちゃんによかったねと
も思えていました。NICUで担当してくれたスタッフと共に
喜びたい酸素中止の日でした。
NICUの中で少しでもより後遺症少なく命を救いつつ、
NICU卒業生のフォローアップ外来で慢性疾患があっても
お子さんとご家族が笑顔で過ごせるように応援できる新生児科チームを
みんなで目指していけたらと願っています。
本日も皆様、それぞれにお疲れ様でした。
明日もそれぞれの場所でそれぞれの役目を頑張って
生きていけるといいですね。
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先天性横隔膜ヘルニアの手術や心臓手術を乗り越えてきた
ちさきちゃんが女性3代で明るくフォローアップ外来にきて
くれた先月です。
ちょうど看護週間でナース服を消て照れている表情が可愛かったです。
ご家族に看護師さんが多いご家系、
ちさきちゃんもこども医療センターで働きたいといってくれたらと
思える自分です。 NICUで働く看護師さん達の1人に
「中澤先生って知り合いですか?」と質問されて
「どうして?」と聞いたら、
「自分の子供時代からの主治医なんです」
と伝えてくれました。
中澤先生に神奈川こどものNICUで働いていると伝えたら、
「豊島先生のところだね。」と言われて驚いた
と伝えてくれる看護師さん。
「中澤先生は自分の人生の恩師なんだ」と伝えたら、
その看護師さんに
「中澤先生も豊島先生のことを弟子と自分は思ってきた。
本人はそう思っていないかもしれないけど。。。」
と言われたとのこと。
その言葉に感動して涙が出そうになりました。
「中澤先生は日本の小児循環器学で知らない人はいない
レジェンドだよ。」と伝えたら
「自分にとっては主治医でいい先生だと思ってきたけど
そんなに偉い先生とは知らなかった。」
という言葉。
自分は
「超未熟児ちゃん達の脳室内出血を防げるようになりたくて
教科書や学会で心臓機能の権威だった中澤先生の基で研修したくて
女子医大にいった。中澤先生にたくさんのことをならったし、
重症な患者さんの生命に関する考え方もたくさん影響を受けた。
NICUに戻ってきてたくさんエコーして集めたデータから
早産児の脳室内出血予防の方法を考えるのも一緒に考えてもらった」
その先に今の自分もある気がするし、
このNICUで脳室内出血を起こすお子さんがほとんどいなくなったのも
中澤先生のおかげなんだよと伝えました。
の韓国・台湾・中国・オーストラリアから招待講演や見学が増えた
きっかけの論文も中澤先生の指導なので名前が入っているし、
のことが記事になった
などにも中澤先生と自分が一緒にでているからと
看護師さんに伝えたら、嬉しそうな表情が素敵でした。
自分の恩師が命支えた小児医療の患者さんが
自分の働くNICUに就職してくれて一緒に働けることを
幸せに感じました。小児医療ならでの喜びな気がします。
そして、自分が担当したお子さんやそのご兄弟が
いつか自分が弟子と思える後輩世代の先生たちと
こんな風に働ける日がきたら、たとえ、自分はその頃
医療現場に存在しなくても、想いや願いは受け継いで
もらえる気がして嬉しいだろうなと思えていました。
心温かくなるNICU看護師さんとの語らいでした。
小児医療の患者さんやその兄妹がどんどんスタッフとして
増えているこども医療センターです。そのことが
きっと小児医療の存在の証であり、未来への希望の
ように思えています。
下記、中澤先生の導いてくれた取り組み、
そしてこれから後輩世代に伝えていきたいことです。
お読みいただき、研修希望など大歓迎です。
本日も皆様、それぞれにお疲れ様でした。
明日もそれぞれの場所でそれぞれの役目を頑張って
生きていけるといいですね。
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