出雲阿国(1572?-?)
出雲の鍛冶・中村三右衛門の娘とされる。阿国、於国、国、おくに、くに。歌舞伎の創始者とされる安土桃山時代の女性芸能者。出雲大社の巫女となり、社殿造営の資金調達のために諸国を巡回して踊りを披露したところ評判になった。晩年は出雲に戻ったとされ、庵にはいって静かに余生を送ったという。没年は慶長18年?(1613年)、万治元年(1658年)など諸説あり、はっきりしない。2代目阿国がいたのではないかという説もある。
阿国は、出雲松江藩の鍛冶・中村三右衛門の娘とされます。
しかし出身地には諸説あって、生まれ故郷についても京都出身とするものや奈良ではないかと推理するものまで様々です。
確実な資料では、西洞院時慶の日記『時慶卿記』慶長5年(1600)七月一日の条に「近衛殿のお屋敷で、晩まで出雲のややこ踊りがあった。一人はクニという踊り子だった」とあり、当時から「クニの生国は出雲」と言われていたようです。
この「ややこ踊り」を阿国が演じるようになったのは、出雲大社勧進(寄付金集め)のためだったとされています。
長じた阿国は出雲大社の巫女となっていたのですが、打ち続く戦乱のために社殿が荒廃したため、造営資金を調達するために十人ほどの旅芸人一座を組んで、諸国を巡回したというのです。
『時慶卿記』の記述に先立つ天正10年(1582)5月、奈良の春日大社で11歳の国、8歳の加賀という幼い子供二人がややこ踊りを踊ったという記録があります。これが阿国のことであると考えられます。『多聞院日記』(奈良興福寺多聞院の院主・多聞院英俊など複数の著述による桃山時代の長期資料)という記録に出ているものですが、この記述は「国と加賀のふたり」ではなく「加賀国出身の二人」とする説もあるようです。
他の資料では、『言継卿記』(山科言継の日記)の天正16年(1588)2月の条に、「出雲大社の巫女が京都で舞を踊った」という記事があり、これも阿国を指すと考えられています。
なおこれらの記録では、どの記述を見ても「ややこ踊り」、つまり「幼い子供の踊り」とあって、後に都で爆発的な人気を博した「かぶき踊り」とは別モノだったようです。
かぶき踊り
この三年後の慶長8年(1603)五月初旬、阿国は京都の四条河原に小屋をかけ、「かぶき踊り」を派手に演じました。武家の扮装、つまり男装をして舞台に現れた阿国が茶屋娘に扮した男を相手に踊りをおどったもので、この演出は大衆の心を虜にしたのです。
ほぼ同じ頃、阿国一座は女院の御所へも伺候したらしく、舟橋秀賢の日記にも『女院において、かぶきをどりこれあり、出雲の国の人』との記述が残されています。
「常識離れしている、突拍子もないこと」を当時「傾く(かぶく)」といい、そうした行動をとる人を「傾き者」といいましたが、阿国の踊りもまた「傾く」ものであり、阿国自身が「傾き者」として大好評を得たため、この「かぶく・かぶき」から歌舞伎の名称もうまれた、とされています。
なお、この阿国の踊りは、絶世の美男子で槍の名人して都でも有名であった名古屋山三郎が演出し、競演したという俗説があります。
山三郎は阿国が「かぶき踊り」をはじめる直前に死去しているため、実際にはあり得ませんが、おなじように「傾き者」として名をはせた山三郎のこと、どうしても阿国と結びついてしまうのでしょう。
以後、阿国は京で勧進興行をさかんに行い、これを真似た芝居が遊女によって盛んに演じられるようになって遊女歌舞伎となっていったのです。
このように従来「神に捧げる」ものであった踊りや舞が、阿国の出現によって「庶民を楽しませる芸能」へと変わっていきました。
阿国自身は慶長12年(1607)、江戸城で勧進歌舞伎を上演した記録を最後に、史料から姿を消します。もともとが勧進のために踊ったということからか、晩年阿国は出雲に戻ったという伝承があります。
晩年の阿国は庵を編んで尼となり、静かに余生を送ったとされます。出雲大社近くに阿国の墓とされるものがあります。
出雲阿国という人は、はっきりいってナゾの人物です。
いつどこで生まれ、どういう生い立ちで、どこで死んだのか、すべてがナゾなのです。
ただ、ひとつ確かなのは戦国から太平の世へと移り変わる京の町に突如として現われ、その「かぶき踊り」で一世を風靡したということ。
舞や踊りを「神に奉納するためのもの」から「人々を楽しませるためのもの」へと変革させたのは彼女の功績ですが、また彼女の出現は、まさに戦国の終焉の象徴だったといえるのかもしれません。
|
ほんと謎の多い女性ですよね。芸能人のなかには崇拝してる人もいるみたいですし。
2006/1/12(木) 午後 7:44 [ どげだや ]
司馬遼太郎原作の『関ヶ原』がテレビドラマ化された際、出雲阿国が登場したのですが、ここでも阿国は名古屋山三郎と共に興行を行なっている様子が描かれていました。ナゾの人物であるからこそ、より魅力を感じてしまいます。
2006/1/12(木) 午後 8:13 [ mannennetaro2005 ]
教科書に出てくるくらいの有名人ですもんね〜、そういえば詳細は書いてなかったなぁ・・・
2006/1/12(木) 午後 8:13
女ってのは、ちょっとミステリアスな方がいいじゃ〜ん♪ミヤモトツネイチが『記憶に残るものが記録に残る』って言ってたけども、まさにそんな感じの人ですね
2006/1/12(木) 午後 8:53
演劇人としては、出雲阿国って結構誇りに思ってたりします。…いや、案外僕だけかもしれないんで、「演劇人としては」っていう枕詞はなしにしましょう。
2006/1/13(金) 午前 0:16 [ にいや ]
>どげだやさん 芸能の世界で革命をおこした人物ですからね〜。芸能人というのはナゾが多いもんですw
2006/1/13(金) 午後 1:37
>寝太郎さん やっぱり名古屋山三郎と阿国の話、根強く語られてますよねぇ。山三郎との共演はウソだとしても、実際にかかわりはあったのかな?
2006/1/13(金) 午後 1:46
>ryoさん 詳細は…書きようがなかったんでしょうね^^; ナゾだらけですから…
2006/1/13(金) 午後 2:07
>ペコさん ペコさんもオイラから見れば十分ミステリアスですw 『記憶に残るものが記録に残る』かぁ、至言ですねぇ。
2006/1/13(金) 午後 2:26
>にゃがえさん そっか、先生は演劇の活動をしてたんですっけ。どげだやさんもおっしゃってますが、芸能に携わる人の中ではカリスマ的な人のようですね!
2006/1/13(金) 午後 2:32
昨日はTVにかじりついてました!三九郎目当てですが・・・!わたしは戦国の「かぶく」人達が大好きです。阿国もしかり、前田慶次郎しかり・・・!
2006/1/14(土) 午前 11:08
阿国のことはいろいろ諸説本が出ていますが・・・クロは情熱的な素敵な女性ってイメージを持っています・・・クロごときでは相手にもされない・・・相手にされるぐらい魅力的な男になりたいもんです
2006/1/14(土) 午後 0:02
「阿」で「お」と読ませるのは何ででしょう。出雲の阿国は、出雲の「大国」さん?「くに」さんだったけど、「阿」という美称・・・「阿」は中国では貴いの意味だそうですが・・・が付いた。私の曽祖母も「くに」だったけど、「おくにさん」と呼ばれていました。閑話休題。
2006/1/14(土) 午後 4:53 [ shigechanizumo ]
阿国のおの字って『阿る』って字ですよねぇ。時代劇とかでよく街娘がお○○さんって呼ばれてるのも、この阿なんですか????
2006/1/15(日) 午前 1:22
>KOROKOROさん 「なんで三九郎目当て??…」と一瞬考えてしまいましたが、そうか「新選組!」の山南さんですね^^; 前田慶次は豪快なヒトですよねぇ。奇特な武辺者、彼の生き方にも興味が尽きません。
2006/1/16(月) 午後 4:46
>クロさん 封建社会において庶民が、しかも女性が名を残すのは稀有なことですよね。それだけ斬新な踊りだったんでしょうが、たしかにそのぶん情熱的だったんでしょう。ナゾの人物だからこそ、想像が膨らみます^^
2006/1/16(月) 午後 4:59
>シゲさん 女性は↑ペコさんの指摘のように「お○○」という呼称で呼ばれていましたから、おそらくは「くに」という名前で、呼ぶときに「お」をつけたものでしょうね。それに漢字を当てたときに「お」が「阿」になったんでしょう。評判を得た人物だけに、やはり、当て字をするときに良い字を選んだんでしょうねぇ。
2006/1/16(月) 午後 5:05
>ペコさん ↑で記したように、おそらく「阿」は縁起のいい字をあてただけの当て字じゃないかと思います。呼び名で「おくに」と使っても、実際は「くに」というのが本名じゃないかなぁ? でも、名をはせた人物だから、接頭語の「お」も含めて名前として表記されたんじゃないでしょうか。
2006/1/16(月) 午後 5:08
記事をさかのぼって、三年前に、こんにちわ
伊達騒動原田甲斐ゆかりの出雲系神楽「花町神楽」と、
同じく原田種親がはじめた出雲系神楽「高祖神楽」の関連を調べています。出雲と言えば、出雲の阿国・・、こちらの記事の転載をお願いいたします。ポチッ。ヽ(´ー`)ノ
2009/2/19(木) 午前 11:11