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「レッドクリフpart1」をようやく見た!
……
うん、アクション映画だ!
それ以上の言葉はない!
おしまい。
……味気ないので、ちょいと赤壁の戦いの説明でもしとこう。
赤壁の戦いとは、西暦208年、中国の後漢王朝末期に起こった戦いです。
当時、後漢王朝は皇帝の権威は失墜し、各地に群雄が割拠して内乱状態にありました。
そんな中、皇帝・劉協(献帝)を保護して丞相となった曹操が華北を平定、南下を開始します。
これに抵抗したのがのちに蜀の皇帝となる劉備、おなじく呉の皇帝となる孫権。
劉備は曹操軍と緒戦で敗れたものの、その追撃を振り切って呉の孫権と同盟、曹操に対抗します。
曹操軍と劉備・孫権同盟軍は赤壁の地で激突、曹操軍は火攻により軍船を焼かれ、撤退しました。
今回見た映画「レッドクリフ」や「三国志」をもとにした小説やコミックなどでは、赤壁の前哨戦では劉備軍もソコソコ活躍しています。
また、赤壁から敗走する曹操軍を劉備軍が追撃し、曹操は命からがら逃げてます。
が、実際のとこ。
ホントは劉備軍はなーもしてません(笑)
もともと兵力の少ない劉備は、兵力を温存して少しでも領地を広げようと狙ったわけです。
で、一応敗走する曹操軍を待ち伏せして撃破しようとはしたらしいですが、曹操本軍は劉備が待ち伏せしていた地点を通らなかったらしいです。
なんせ劉備は兵力が少ないので、複数地点に兵を配する余裕はなかったわけです。
そして孫権軍は曹操水軍を撃破しましたが、その水軍というのはもともと曹操の主力ではなくて降伏勢力の軍。
曹操主力はなんといっても騎兵軍団で、その騎兵軍団は当然赤壁の水上戦には不参加、水軍の敗北後は先ほど書いたように劉備軍の待ち伏せをかわして無事撤退に成功しています。
さらに、正史「三国志」では赤壁の戦いはすごく素っ気無い。
「不利になったので撤退した」みたいな書き方です。まぁ、「三国志」は曹操の子・曹丕が作った魏王朝を正統な王朝と位置付けているので、素っ気無いのは仕方ないかもしれませんが。
ただ、曹操軍は風土病(長江の貝類にいる寄生虫を食べた事による寄生虫症だといわれる)に悩まされ、戦闘継続が困難になったので、自ら船を焼いて撤退したという説もありますから、やはり主力への被害というのは軽微だったと思われます。
つまり、赤壁の戦いは曹操軍の大敗北というイメージが強いのですが、曹操の主戦力は無傷のままだったわけです。
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はじめまして
孔明先生です
いずれにしてもすごいのはこの圧倒的に不利な状況で
冷静に状況を分析した周瑜の判断力にあると思います
2009/7/4(土) 午後 1:37 [ 孔明先生 ]