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あるお友達が、
「ウチの近所にお城の跡があるよ」
というので、
「城と名のつくところならば行ってみねば!」
と思い、はるばる伯太町まで行ってみました。
その名も赤屋城。
お友達のウチで待ち合わせ、お友達の先導でバイクで移動。
しばらく行くと看板に「○○城山」の文字が。
○○部分は「赤屋」だったのだろうけど、とれてしまってるぞ(笑)
小さな駐車場もある。
駐車場をはさんで道路の反対側に登山口が。
ここにバイクとめて歩いて行くのか〜と思いきや、
「バイクで登ろ」
とお友達。
む、確かに車の通った跡があるが、けっこうな急斜面だぞ。
大丈夫か?
心配をよそに、お友達は颯爽とCB125(借物)を駆って突入!
遅れじとXR50で追従。
すると、
「うわ〜思ったより急じゃん!」
お友達失速(苦笑)
先に行けというのでしばらく行くと、すこし開けた平坦地があったのでそこで待つ。
なかなか来ない……
借物のためか発進し辛いらしい(苦笑)
かなり苦戦しているもよう。
ようやく追いついてきたお友達と、そこからは歩いて進む。
ほんの数100メートルも歩くか歩かないかのうちに、山頂に到着。
はやっ!!
ものすごいラクチンなお城だな(笑)
頂上は公園として整備されていて、東屋もあった。
登山者名簿も置いてあるぞ(登山ってほどでもないけど)。
開けてみると抜け作先生(ついでにとんちんかん)の絵……
時代を感じるぜ……
(笑)
さて、ということで、お城としてのこの山をみてみよう。
登山口にあった案内板によれば、この赤屋城というのは「尼子十砦のひとつ高尾城の重要な見張り所」だそうだ。
山頂には馬場の跡がある、とある。
ということは、この山頂の削平地が馬場か。
東屋の後手には一段高くなったところがあり、おそらくこれは櫓台か。
見回したかぎり、防御施設としての機能はあまりなさそうだ。
合戦陣地としての城というよりは、案内板にあるように見張り所としての機能と、馬場があることから兵の詰所として使われたのだろう。
築城年代や築城者などは、不明であります。
が、この城単独では城として機能しないから、広い意味でいえば高尾城の一部なのかも。
ということは、高尾城の出城として、高尾城の後に築かれたのかもしれない。
ともあれ、案内してくれたお友達に感謝!
アリガトウございました!
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赤屋、赤木、赤名など赤の付く地名などが散見されますが、尼子と赤の関係に何か理由があるのでしょうか。
2009/5/28(木) 午前 9:11 [ いずものしげちゃん ]
すみません。赤木は赤来の間違いでした。
2009/5/28(木) 午前 11:33 [ いずものしげちゃん ]
>シゲさん
考えたこともなかったですが……
地名の多くは尼子氏の入部以前からあったものだと思うので、直接の関係というか、意味というものはないように思います……
ちなみに赤屋の地名の由来は、たたらの火の輝きで山が赤々と燃えて見え、「赤山」と呼ばれていたのが変化した、という説があるそうです。
ほかにも、平家の落人が赤旗をかかげて山に籠ったため、おなじく「赤山」と呼ばれるようになり、それが変化したという説、井尻のあたりからこの地域に入ると集落が明るく輝いていたから「明屋」と呼ばれ、それが変化したという説もあるようです。
2009/5/29(金) 午前 0:26
↑ふぅ〜ん・・・。そうだったのか、赤屋・・・。
赤屋のあたりから急にレア蝶の宝庫エリアになります。
きっと昔からあまり環境が変わってないんだわさ。
・・・もう二度とバイクでアチコチ登ろうと思わないようにするよ・・・。
2009/6/1(月) 午後 3:47
>ペコさん
オイラは実は、あの山道わりとヘッチャラな気がした(笑)頂上までいけたかも〜。
ゼロハンでクロスミッションだったから、ああいう山道でも平気だったのかな?
それにしても……具体的な地名が出てるからペコさんの名前は伏せたほうがいいかなって思ったけど、コメントに書いたらモロバレじゃないか(苦笑)
2009/6/2(火) 午前 1:05