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美保神社は、島根県松江市美保関町、美保関の町の中心となる神社です。
今回は、この神社について書いてみましょう。
美保神社の創建の由緒は不詳ですが、神代に創建されたと伝わります。
8世紀に編纂された『出雲国風土記』の神社台帳にはすでに記載されるている古社で、延喜式神名帳では小社に列する式内社です。明治18年(1885年)に国幣中社に列せられ、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となっています。
近世ごろから「大社(出雲大社)だけでは片詣り」と言われるようになり、出雲大社とともに参拝者が増えるようになったようで、やがて出雲大社とあわせて「出雲のえびすだいこく」と称されるにいたったようです。
「出雲のえびすだいこく」という呼称からわかるように、美保神社は「えびす様」を祭った神社です(当然、だいこく様は大国主神のことで、出雲大社の主祭神ですね)。
このため美保神社はえびす神としての商売繁盛の神徳のほか、漁業・海運の神、田の虫除けの神として信仰を集め、また、古来、「ゑびすさまは鳴り物がお好き」との信仰があったため、多数の楽器が神社に奉納されたようです。
なお、現存する奉納された楽器類のうち846点が国の重要有形民俗文化財に指定され、日本最古のアコーディオンや初代萩江露友(おぎえろゆう)が所有していた三味線など、名器、珍品もその中に含まれているそうです。
ところで、じつは「えびす様」には二種類あって、ひとつは事代主神系のえびす様、もうひとつは蛭子神系のえびす様です。美保神社は事代主神系のえびす社で、全国3千余社の事代主神系えびす社の総本社です(ちなみに蛭子神系のえびす社の総本社は兵庫県西宮市の西宮神社)。
本題とはずれますが、ここで蛭子神(ひるこ)について記しておきましょう。
蛭子神は、『古事記』において国産みの際、イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神です。しかし、子作りの際に女神であるイザナミから声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまいます。
この蛭子神は日本海沿岸の各地に流れ着いたという伝説があります。日本沿岸の地域では漂着物をえびす神として信仰することが多かったため、蛭子神がえびす神として信仰されるようになったのだそうです。
では、美保神社のご祭神である事代主神(ことしろぬし)はどういう神様かというと、大国主神の第一の御子神です。
『記紀』によれば、葦原中国平定において、建御雷神(たけみかづち)らが大国主神に対し国譲りを迫ったおり、大国主神は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神に返答させることにし、これを受けて事代主神は「承知した」と答えて、船を踏み傾け、天の逆手を打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまったとされています。
美保神社では、この故事をもとにして12月3日の諸手船(もろたぶね)神事と、4月7日の青柴垣(あおふしがき)神事が行われます。 一度見てみたいものですが、残念ながら僕はまだ見たことがありません…
この事代主神の神名「コトシロ」は「言知る」の意で、託宣を司る神であるとされます。言とも事とも書くのは、古代において言(言葉)と事(出来事)とを区別していなかったためであろうと思われます。
また、事代主神は大国主神の子とされていますが、じつは元々は出雲ではなく大和の神で、国譲り神話の中で出雲の神とされるようになったという研究もあるようです。
さて、美保神社の主祭神はじつはもう一柱いらっしゃいます。それが三穂津姫命(みほつひめのみこと)です。
三穂津姫命は高皇産霊尊の御子神であり、大国主神の御后神です。この神の具体的な記述としては、『日本書紀』の葦原中国平定の場面の第二の一書にのみ登場します。
大己貴神(大国主)が国譲りを決め、幽界に隠れた後、高皇産霊尊が大物主神(大国主の奇魂・和魂)に対し「もしお前が国津神を妻とするなら、まだお前は心を許していないのだろう。私の娘の三穂津姫を妻とし、八十万神を率いて永遠に皇孫のためにお護りせよ」と詔したとされ、大物主神は三穂津姫を娶るのです。
三穂津姫の神名の「津」は「〜の」の意味で、「穂」は「稲穂」を意味しますから、この神の神格は豊穣の女神というところでしょう。事実、美保神社では農業及び子孫繁栄の守り神として信仰されています。
このように美保神社は主祭神が二柱いらっしゃるということで、本殿も特殊な形状をしています。
高床式の建物が特徴の大社造の本殿を基本に、これをを左右二棟並立させ、その間を装束の間でつなぎ、木階を覆う向拝を片流れに二棟通しでつけるという特殊な様式で、「美保造(みほづくり)」と呼ばれます。
また屋根についても桧皮葺(ひはだぶき)の共皮蛇腹(ともがわじゃばら)で国の重要文化財に指定されています。
ところで、美保関の地名は美保神社の御祭神「三穂津姫命」からとったように思えますが、『出雲国風土記』には、大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)の間に生まれた「御穂須須美命」が美保郷に坐すとの記述があり、美保の地名はこの御穂須須美命からとったものだとされているのです。
地名の由来となるほどの神ですから、おそらく、元もとの美保神社の祭神はこの御穂須須美命であったものでしょう。
しかし、記紀神話の影響により、もっと言えばヤマト政権の圧力により、事代主神と三穂津姫命とされたものではないでしょうか。
三穂津姫命が祭神に選ばれたのは、「ミホ」という神名がついていたために御穂須須美命のかわりに選ばれたのではないかと想像します。
ちなみに御穂須須美命を祭る神社は、美保神社から海べりを通り、小路を山の手へ少し入った保育所の前にひっそりと建っています。
余談ですが、飛行機アクロバティックショーのチーム・エアロックのパイロットであるサニー横山(横山真隆)氏は、この美保神社の神主家の出身です。
僕が高校生のときはおなじ松江東高校の漕艇部に所属していて、冗談ばかり言っていたひょうきんなヤツで、「いつかパイロットになる」と常々口にしていましたが……まさかホントにパイロットになるとは思いも寄らなかった……
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パイロット・・・ぼくもなりたかった・・・。
2009/6/11(木) 午前 9:06 [ いずものしげちゃん ]
>シゲさん
今からでも遅くない!
……かなぁ(笑)
2009/6/11(木) 午前 10:46
パイロット万年筆に就職した友人が、俺はパイロットだと言っていました。耳を疑ったのですが、筆記具会社の事でした。トホホ・・・。
2009/6/12(金) 午前 9:07 [ いずものしげちゃん ]
>シゲさん
アハハ(^O^)
まぁ「パイロット」にはちがいない!
2009/6/12(金) 午前 10:30