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先日、京羅木山城址に行ってきました。
京羅木山城とはあまり聞かない名前かもしれません。
京羅木山は、周防の大内義隆や安芸の毛利元就が尼子氏の月山富田城を攻撃するために陣地としたところですが、そのさい軍事拠点として整備しています。
これが京羅木山城です。
もっとも、京羅木山城は、通常の山城のように山頂を起点として郭を配置したものではなく、富田城のある能義平野に面した山の北東部、標高405メートル付近(ちなみに京羅木山の三角点は473メートル)を中心に作られていて、全山を要塞化したものではありません。
しかし、京羅木山は星上山(松江市八雲町)とともに山岳信仰の対象となり、多くの修験者が修行したところです。
このため、山腹には修験者たちが使用した宿坊跡や堂などの宗教施設跡が多くあり、「山伏塚」と呼ばれる塚のあるあたりはかなり広い削平地となっています。
こういう場所も、戦闘用の施設として転用されたものと思われます。
京羅木山の登山道はいくつかありますが、今回は麓の金刀比羅宮付近からはじまるコースをとりました。
この金刀比羅宮、もともとは出雲大社の分社で、毛利元就が戦勝を祈願して勧進したものだそうです。
ということは元の祭神は大国主神だったと思われますが、現在は讃岐金刀比羅宮とおなじく大物主神で、実は讃岐金刀比羅宮の本宮にあたるとか何かに書いてありました。
ちなみに大物主神とは大国主神の幸魂奇魂もしくは和魂、まぁ簡単に言えば分身です。
山頂までは約2キロの道のり。
整備用車両が通る車道が登山道なので、ベラボウに急峻な斜面はなく比較的歩きやすいこと請け合いであります。
1.5キロ付近に修験者の修行場である山伏塚に向う道と、広瀬町方面に向う道があります。
広瀬町方面に向うとしばらくしてT字路になっていて、すこし小高い削平地になってますが、このあたりが京羅木山城の主郭です。
このあたりには南北に竪堀があったりします。
ちなみに竪堀というのはその名の通り山の斜面を縦に掘った空堀で、攻撃側の兵の斜面の移動を制限するためのものです。
実は出雲土着の勢力が拠点とした城は自然の地形をそのまま活用したものが多く、竪堀はほとんど用いません。
これを見ても、京羅木山城が外来勢力の築いた城だということがわかります。
山伏塚にも行ってみましたが、「山伏塚まで300メートル」と書いてあるにもかかわらず、300メートルくらい歩いたらまた「山伏塚まで300メートル」という看板が……
テキトーすぎるぞ、オイ!
山伏塚に向う途中には、先述のとおり宿坊跡と思われる削平地が点在していて、石積みもありました。
山伏塚付近は広めの削平地で、巨岩がゴロゴロあったりしていかにも修験者が好みそうな雰囲気。
ここは即神仏(ようするにミイラ)になるための斎場であったとも言われているようです。
もっとも、即神仏は見当たりませんでした(あたりまえか)。
山頂手前で車道はおわり、ここから突然斜面が急になっていますが、階段がつけてあってこれまた歩きやすい。
山頂はソコソコ広く、観音像が立っています。
往時もここに櫓くらいは設けていたのかもしれません。
山頂からは能義平野、意宇平野が一望できて絶景です。
そして、月山富田城が眼下に見えます。というかもう、城の様子がまるわかりです。
富田城から京羅木山を見たときはさほど見上げるカンジはしなかったのに、京羅木山から見るとこうまで丸見えだったとは……
これは、月山富田城がいくら堅固でも、この京羅木山を取られた時点で富田城の敗北は必至だったと、納得してしまったのでありました。
こうまで周囲を俯瞰できるのに京羅木山城が単なる合戦用の要塞としてしか用いられなかったのは、周囲に平地が少なく政治上の拠点になりにくかったせいでしょうか。
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