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以前、亀井氏について記したときの記述にあやまりがありましたので、ここで訂正しておきます。
亀井国綱の活動が天文13年(1544)ごろを最後に見られなくなり、永禄2年(1559)の文書まで亀井氏が一次史料に登場しない、と書きました。しかし、何点か史料の見落としがありました。
まず、天文十四年(1545)正月二十六日「尼子晴久安堵状」に「先年」のこととして「亀井宗兵衛」の名が出ています。
これは所領に関する文書で、亀井宗兵衛が直接活動をしているわけではありませんし、「先年」の事なのでこのとき亀井宗兵衛が生きているのか死んでいるのかも分かりませんが、国綱(藤左衛門尉)とは違う人物と思われるので記しておきます。
次に、「証如上人日記」天文二十年(1551)十一月六日条に「亀井孫五郎」の名があらわれます。
この亀井孫五郎が久清(藤兵衛尉)のことだとされているようです。
というわけで、一次史料における亀井一族は、
(1)亀井秀綱(藤兵衛尉・能登守) 文書登場期間:1510〜1531
(2)亀井安綱(太郎左衛門尉) 文書登場期間:1531〜1540
(3)亀井国綱(藤左衛門尉) 文書登場期間:1540〜1544
(4)亀井宗兵衛 文書登場期間:1545
(5)亀井久清(孫五郎・藤兵衛尉) 文書登場期間:1551〜1562
ということになります。
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