|
妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)に行ってみました!
妻木晩田遺跡というのは、中国地方の最高峰・大山の麓にある、日本最大級の弥生集落遺跡です。
あの有名な吉野ヶ里遺跡の3倍くの広さ(妻木晩田遺跡が152ha、吉野ヶ里遺跡は50haほど)があるわりには、なぜか吉野ヶ里遺跡よりぜんぜん有名じゃないのが不思議です(苦笑)
鳥取県の弥生遺跡としてはほかに弥生人の脳がみつかったという青谷上寺地遺跡もありますが、こちらもぜんぜん有名じゃない…ホント不思議です。
それはともかく、妻木晩田遺跡。
遺跡のひろがりは鳥取県米子市・西伯郡大山町にまたがる晩田山丘陵全域におよび、弥生時代に大山山麓に存在したであろうクニの中心的な大集落であったと考えられています。
じつは現在も、いまだ全体のおよそ1/10しか発掘調査がなされていないそうです。
しかしその調査で、数々の発見がありました。
発掘されたのは、弥生時代中期末(西暦1世紀前半)〜古墳時代前期(3世紀前半)にかけての竪穴住居跡420棟以上、掘立柱建物跡500棟以上、山陰地方特有の形をした四隅突出型墳丘墓などの墳墓34基や、環壕など。
なんせ鳥取県はそれまで弥生遺跡の空白地帯だったのに、突然これだけの大きな遺跡が出たわけです。
そら国指定遺跡にもなりますわ。
妻木晩田遺跡に人々が住みはじめるのは、弥生時代中期末頃(西暦1世紀前半)のようです。
弥生時代後期初頭(1世紀中頃)になると、洞ノ原西側丘陵に環壕が掘られ、洞ノ原東側丘陵に四隅突出型墳丘墓がつくられます。
このとき妻木晩田遺跡に住んだ人々は、ここから東に700mほど離れた妻木新山地区、妻木山地区、松尾頭地区に住居を構えていたようです。
その後、ムラの人口が増えるにつれて居住地の範囲は広がっていき、妻木晩田遺跡が最盛期を迎える弥生時代後期後葉(2世紀後半)には居住地の範囲が遺跡全体に広がります。
しかしこの時期を境に、妻木晩田は少しずつ衰えていき、古墳時代の初め頃には住居がほとんど見られなくなるのです。
で、今回見学したのは洞ノ原地区。
というか、見学コースで整備されているのはこの地区だけなので。
それでもかなり広い!
眼下には弓ヶ浜から美保関にいたる海岸線が一望でき、ここが高地性集落であることを改めて実感させられます。
見学コースなかほどにある四隅突出型墳丘墓は、意外なほど小さなもの(1〜3メートル四方かな)。
でも実は、四隅突出型墳丘墓を目にしたのは今回はじめてなので、かなり興味津津!
さらに周囲には円墳や前方後円墳がいくつもあって、弥生〜古墳時代を通じてここが首長の墓所であったことがわかります。
でも、つきあわせたひろげ(妻)とさくらは暑さで疲労ぎみ。
すまんのう、わしの趣味につきあわせて。
ホントはもっとじっくり見たかったのだけども、疲労してる二人をあまり付き合わせるのも悪いので、駆け足で遺跡を巡って退散しました。
余談ですが、ガイダンス棟の売店で売ってた「ぬぎパンダTシャツ」がかなり気になりました(笑)
興味のある人はぜひ購入してくだされ。
|
むきぱんだ・・・相当ゆるくて奇妙なキャラですよね・・・。
( ゚Д゚)ァハハ八八ノヽノヽノヽ
それにしても、何かにつけ、鳥取県はPRが弱すぎるように思いますですよ・・・。
関東暮らしの頃、よく関東人に島根と混同されてたし
鳥取といえば、「らくだ」とかワケワカランこと必ず言われるし・・・。
砂丘にちょっとだけらくだがいるだけじゃん・・・。↓↓
2009/8/28(金) 午前 9:09
あー、むきパンダを調べてみたら、そういうゆるキャラがいるんですね。
「むいてもむいてもむきパンダ」とかいうビミョーなキャッチコピーがゆるすぎです(苦笑)
「ぬぎパンダ」は「むきパンダ」とは別物みたいですよ。発想は同じだけど(笑)
吉野ヶ里遺跡は、邪馬台国ブームにうまいことのっかって、「吉野ヶ里から邪馬台国が見える」なんてキャッチコピーで一世風靡しましたからねえ。
対する妻木晩田遺跡が「むいてもむいてもむきパンダ、妻木晩田遺跡」では……軍配は吉野ヶ里にあがるなあ(苦笑)
2009/8/28(金) 午前 11:48