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このシリーズも3回目を迎えることができました。
このまま続けていきたいもんですねぇ。
過去2回とも土佐藩士だったので、今回は目先を変えて、土佐藩士以外の人物から……ここはひとつ、ペリーをとりあげてみましょう(←いきなり外国人かい)。
ペリーといえば、黒船で来航し、日本に開国を迫った人物として知られていますが、それ以外のことは知らない人が多いのでは?
かくいう僕もほとんど知らないので、少し調べてみました。
【マシュー・ペリー】(1794〜1858)
マシュー・ペリーは、日本に小艦隊を率いて来航したことから分かるとおり、アメリカ海軍の軍人です。
このペリーの父クリストファーは私掠船の船長でした。私掠船というのは、戦争状態にある敵国籍の船舶を攻撃し、船舶および積荷を奪うことを許可された船のことで、言ってみれば公認の海賊みたいなものです。
この父の影響を受けたのか、ペリーの二人の兄、クリストファーとオリバーは二人とも海軍に入隊しています。
そして、ペリー自身も1809年に海軍にはいったのです。
とくに次兄オリバーは米英戦争中(1812〜1814)、エリー湖の戦い(1813)においてイギリス軍を打ち破った英雄だそうです。
米英戦争がどういう戦争だったのかは、本題からはズレるのでここでは触れませんが、とにかくペリーには偉大な兄がいた、というわけです。
では、ペリー自身は軍人としてどうだったのでしょうか?
ペリーは、1812年からはじまる米英戦争に、二人の兄とともに参加します。
その後、1833年、ペリーはブルックリン海軍工廠の造船所長となり、1837年にはアメリカ海軍初の蒸気船を建造します。
そして同年には海軍大佐に昇進、1841年にはブルックリン海軍工廠の司令官となっています。
以後ペリーは、蒸気船を主力とする海軍の強化策を推し進め、同時に士官教育にも熱心に取り組みました。
このように順調に出世しているところからみると、その手腕は確かなものだったのではないでしょうか。
また、蒸気船の配備を推し進めたことから「蒸気船海軍の父」と呼ばれるようになり、軍人教育に熱心だったこともかなり評価されたようです。
さて、1852年、ペリーは東インド艦隊司令官に就任、日本に開国を迫る任務を与えられます。
4隻の小艦隊を編成し、この年11月にバージニア州ノーフォークを出航したペリーは、翌年7月、浦賀に入港します。有名な「黒船来航」です。
この任務に際し、ペリーは事前に日本について研究して、「日本人は自分たちが世界一優秀な民族だと自負しているので、その鼻をへし折るような交渉の仕方が効果的だ」と判断したとか。
また、浦賀来航のさいに幕府に二本の旗を贈ったといわれていますが、一説にはこの旗は白旗で、「降伏か、開国か」を恫喝的に迫った、とされています。
こうした話からペリーの交渉態度は「砲艦外交」と称されますが、これらの話が真実であったかどうかは不明で、またフィルモア大統領からは砲撃は禁止されていました。
ともかく、この事件をきっかけに日本は幕末の動乱期にはいっていきます。
このときの幕府のあわてふためく様を皮肉って「太平の眠りをさます上喜撰(じょうきせん) たった四杯で夜も眠れず」という狂歌が詠まれたとされます。
「上喜撰」とは上等な日本茶のことで、覚醒効果が高いとされていました。
これを「蒸気船」とかけたわけですが、実際には来航したペリーの4隻の船のうち、蒸気船は2隻で、ほか2隻は帆船でした。
幕末の外国船舶といえば蒸気船、というイメージがありますが(僕だけ?)、じつは当時まだまだ帆船が現役で働いていたわけですね。
ペリーが蒸気船(外輪式フリゲート)2隻を小艦隊に組み込んだのは、日本にアメリカの進んだ文明を誇示する狙いももちろんあったのでしょうが、むしろアメリカ国内にその性能を示し、有用性を証明するのが主目的だったのだそうです。
ちなみにフリゲートとは、駆逐艦や巡洋艦などの戦列艦よりも小型・高速で、戦闘任務のほかにも哨戒、護衛などの任務をこなす軍艦のことを指します。
まぁともかく、このとき幕府は返答を保留したため、翌年ふたたびペリーは来航(このときは7隻の軍艦で艦隊を編成)、3月に横浜で日米和親条約を調印して任務を全う、7月には那覇に寄航して琉球王国とも琉米修好条約を締結しています。
帰国後は遠征記などを記し、1858年ニューヨークで死去しました。
ちなみに、晩年のペリーはヅラをかぶっていたそうです。
また、ペリーの威張った態度や、声が熊のような大声であったことから、「熊オヤジ」とあだ名されていたとか。
でも、熊の声って聞いたこと無いけど、どんな声なんでしょうねぇ??
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江戸末期の1853年、開国(開港)を日本に迫ったマシュー・ペリーはメイソンであった。
ペリーは1819年にニューヨークのホーランド・ロッジでメイソンリーに加入した。
2013/8/3(土) 午前 8:33 [ ユダヤのアジア太平洋謀略 ]