山中御殿

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先日、宮島(広島)にあそびに行ってきました〜。


宮島といえば、鹿。
さくらが鹿に対してどんな反応を示すのか楽しみだったんですが、思いのほか怖がらず……
ちょっと残念(笑)。

また、宮島といえば厳島神社。
この神社は安芸一宮とされ、祭神は宗像三女神。
この三女神は古くから航海の神とされています。
そう考えてみると、なるほど、満潮時には水上に浮かぶように建つ社殿は、海神の宮にふさわしいですね。

しかしおそらくは、もともとは宮島という島そのものが神として崇められていたのでしょう。
この付近を航行する船はこの島を目印に航海を行い、自然と「神」として島が神聖視された。そして、やがて社殿が造営されたときに航海に関係の深い神がまつられるようになった、と考えるのが正解かもしれません。


さらに宮島といえば、戦国時代に「厳島の戦い」という西国の勢力図を塗り替える一大決戦が行われた地でもあります。
この「厳島の戦い」は、陶晴賢と毛利元就が戦った戦いです。

陶晴賢とは、周防の大名・大内氏の有力家臣。
大内氏は当時、今の山口県全域を基本領国として、石見西部、九州北部にかけて勢力をもった強大な大名でした。
晴賢は、大内氏の当主であった大内義隆を自害に追い込んで九州の大友氏から当主として大内義長をむかえ、大内氏の実権を握った人物です。

対して毛利元就は、後に中国地方のほぼ全域を支配する大大名になる人物です。
しかし、この当時は安芸・備後で勢力を拡大しつつあったとはいえ、まだまだいち国人領主でした。

『陰徳太平記』などの軍記によれば、陶軍は毛利元就の流した偽情報に惑わされて狭い島内に大軍を集結、そこを毛利軍が急襲したため、陶軍は大軍を生かす事ができずに壊滅した、とされています。
軍記のいうことなので実際の戦闘がどのようなものであったのか定かではないですが、陶晴賢がこの戦いで命を落とし、大内氏は一気に凋落したのは事実。
陶晴賢を失った大内氏は、毛利元就の侵攻を受けてあっけなく滅んでしまいました。

しかし…

宮島は、みるからに山がちな島で、とても大軍が展開できるような余地があるようには、どう素人目に見たってみえません。
「西国無双の侍大将、智も勇も人に越え」ると賞されたほどの陶晴賢が、はたして軍記に描かれているような愚を本当におかしたんでしょうか?
「厳島の戦い」の真相は、ぜんぜんちがうものだったのではないか……と、思えてなりません。

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佐々木斉久
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