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尼子氏久(?-1578.7.2)尼子誠久の嫡男。一説に尼子豊久の嫡男。または晴久の末子とも。母は多賀宗隆の娘。孫四郎・助四郎・刑部少輔。晴久の新宮党粛清を免れ、尼子氏が滅亡すると弟・勝久とともに尼子再興を試みたが、果たせず上月城で自害した。
尼子氏久は、謎の多い人物です。誠久の子とも、豊久の子とも、晴久の子とも、あるいは久幸の子・経貞と同一人物であるとも言われています(文末追記を参照)。しかし、新宮党誠久の後を継ぐ立場になったということは事実のようで、国久の嫡孫と目されました。
ところが国久は三男・敬久を偏愛し、次第に氏久を退けるようになったと言われています。偏愛したのは敬久ではなく国久の庶子・数久のことだとも、氏久の弟・勝久のことだったともいわれていますが、ともかく氏久が廃嫡の危機を感じるようになります。
このため、氏久は国久と対立するようになりました。ちょうどこの頃、国久は尼子宗家の当主・尼子晴久と対立を深めていたため、氏久は晴久に助けを求めました。
このこともあってか、晴久は新宮党粛清を決意、天文23年(1554)に国久・誠久らを殺害、居館に立て篭もった敬久らも襲撃して討滅してしまいます。
このとき新宮党は解体されますが、氏久自身は粛清を免れ、新宮党の遺領の一部は受け継いだようです。『出雲私史』には晴久の末子とあって、粛清を免れたとしています。また、『熊野山物語』の中には、尼子家臣・田中三郎左衛門が新宮党の粛清の際、尼子の将来を憂えて幼少の氏久を盗み出し、蜂須賀彦右衛門を頼って養育したとあります。
その後、氏久は尼子一門として毛利氏などと戦ったと思われますが、明確な史料には登場していません。そして永禄9年(1566)、富田城が開城すると義久ら三兄弟は安芸に幽閉されますが、氏久は出雲に残ったようです。どうやら毛利に降ったと思われます。
そして永禄12年(1569)、弟・尼子勝久が出雲に入国すると、勝久と合流して尼子再興を志しました。しかし、再興軍の旗頭は弟・勝久のままで、氏久の立場は微妙なものでした。氏久は一軍の将という扱いは受けていなかったようで、兄でありながら「勝久の舎弟」という身分でした。勝久の寵童であったという説すらあります。
ともかく尼子再興軍の一員には加わりますが、翌年には再興軍が布部山合戦で毛利に敗北し、出雲国を維持できなくなったために京都に撤退します。
その後は因幡を転戦する尼子軍に従いますが、天正6年(1578)には羽柴秀吉の旗下に入り、播磨上月城番に任じられます。ところが上月城は毛利の大軍に包囲され、戦況の悪化から秀吉本隊からも見放されたため、開城することになってしまいました。
開城の条件として切腹を命じられた氏久は、弟・勝久とともに自害して果てました。
なお、氏久の子孫は羽柴秀吉の家臣・蜂須賀小六が保護されたといわれ、蜂須賀家が阿波の大名となったことから阿波に移ったとされています。現在も四国には氏久の子孫を称する方がおられるようです。
(追記)2009.8.17
本文中で「久幸の子・経貞と同一人物であるとも言われています」と書きましたが、この件はどうやら事実とは反するようです。
この説はkunikidamimizumanさん(当然ハンドルネームです)という方が推測していたもので、この記事を書いた当時「Yahoo!掲示板」にて展開しておられました。その後、同様の内容をご自身のブログでも書かれていましたが、現在は残念ながら閉鎖されたため見ることはできません。
この説の論旨は「新宮党の滅亡後、久幸の子が新宮党の名跡を継承したのではないか」というものでした。
しかし実際には、「証如上人日記」天文二十年十月十五日条に尼子晴久の指揮のもと尼子誠久、尼子孫四郎、大河原貞尚などが登場していますが、この「尼子孫四郎」が氏久のことであると思われますので、新宮党の滅亡以降「尼子孫四郎」が登場したわけではありません。
したがって、久幸の子・詮幸(「雲陽軍実記」では経貞)が新宮党滅亡後、その名跡を継いだとするには無理があります。
新宮党滅亡以前に養子にはいったとすれば矛盾はしませんが、子沢山の誠久がわざわ養子を迎えたというのも不自然です。
したがって、尼子氏久は久幸の子ではないだろうという見解が妥当だと思われます。
また、上月城落城時に勝久とともに自害した人物は一次史料によれば「尼子助四郎」です。
「刑部少輔」ではありませんので、これが氏久と同一人物であるかどうかは、検討の余地があると思います。
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相変わらず内容の濃い〜ブログですね・・・いやあ凄いです・・・
2005/7/16(土) 午前 2:34
基本的に凝り性なんですかね、私。でも、すぐ飽きる^^;
2005/7/16(土) 午前 10:24
あまり知られてない尼子の残党のことをよく調べられていて
大変勉強になりました!
氏久は本当に微妙な人物ですね。
ぽち☆
2008/9/23(火) 午後 8:45 [ - ]
>やまたろうさん
う〜ん、氏久についてはホントよくわからないことだらけ。
もう少し検討が必要です。。。
2008/9/28(日) 午前 1:53