山中御殿

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山中五郎幸久

山中幸久(1404-1458.1.11)尼子持久の次男。五郎。兄・尼子清定と対立して暗殺を企てたが、発覚したために囚われ、幽死した。

 山中幸久は、出雲山中氏の祖とされています。この出雲山中氏の後裔に山中鹿介幸盛がいます。しかし、『佐々木系図』には幸久なる人物は記載されておらず、その出自は定かではありません。

 尼子氏の故郷・近江にも山中氏はおり、こちらの山中氏は甲賀山中から起こった甲賀二十一家のひとつとされる橘氏の流れをくむといわれています。この山中氏は南北朝時代に六角氏の被官となっていますが、あるいはこの近江山中氏の一族のうち京極氏の被官となった者がおり、尼子氏の出雲入国とともに出雲にやってきたのかもしれません。

 『山中系図』によれば、山中幸久は尼子持久の次子ということになっています。つまり、尼子清定の弟にあたります。
 幸久の事績は定かではありませんが、『山中系図』の註によれば、兄・尼子清定を討とうとして発覚、布部山に囚われて幽死した、とあります。これがいつ頃のことかは定かではありませんが、幽死したのは長禄2年(1458)とされていますので、おそらくはその数年前くらいでしょう。

 幸久は桜井為信という人物の娘を娶っています。この桜井氏は、後の尼子経久の時代に反旗を翻しています。このことから考えると、おそらくはこの桜井氏と尼子氏との関係はさほど良好なものではなかったのでしょう。
 だからこそ、清定は幸久を桜井氏と縁組させることで、尼子氏と桜井氏との関係を良好なものにしようとしたものでしょう。

 ところが幸久は桜井氏と同調してしまったのです。あるいは幸久にはもとから野心があり、清定の転覆のために桜井氏の勢力を利用しようとしたのかもしれません。
 ともかく、幸久の企みは未然に防がれ、桜井氏と尼子氏の間には埋まらない溝が出来ました。これが不満として噴出したのが、経久の時代の桜井宗的の反乱ということではないでしょうか。

 なお、幸久のあとは十四郎幸満が山中家を継いでいます。幸満は尼子宗家に仕えることを許されたものと思われます。

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山中氏と佐々木、尼子氏との血のつながりは
ありそうですね。

この辺りの研究をお願いいたします〜♪
ぽち☆

2008/9/25(木) 午後 7:57 [ - ]

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>やまたろうさん
いやー、正直山中氏については伝承の域を出ないですから…
やはり近江山中氏(甲賀忍者)出身なのかな、と思ったりして。

2008/9/28(日) 午前 1:38 佐々木斉久


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