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亀井安綱(生没年不詳)亀井永綱の子といわれる。武蔵守・能登守・重貞。尼子経久に仕え、筆頭家老として権力を振るった。
亀井氏は紀州の鈴木氏の一族で、源義経に仕えた亀井六郎重清の後裔と言われています。
この重清が宇多源氏佐々木氏の佐々木秀義の娘を迎えて佐々木氏の一門となり、秀義の子・義清が嘉禄元年(1225)に出雲守護として出雲に入国した折、これとともに出雲に入りました。
安綱の父・永綱(重則)は出雲須佐城(現・出雲市佐田町)を本拠としていましたが、この永綱の代から尼子氏に仕えたようです。
安綱の官途名は武蔵守ですが、一本能登守とも言われています。また、安綱の子とされる秀綱も同じく能登守を名乗ったため、安綱と秀綱の事績が混同されており、明確ではありません。
文明18年(1486)、尼子経久が富田城の奪回を画策して挙兵、これに亀井氏も参戦していますが、これは亀井秀綱であったとされています。しかし、秀綱は義久の代まで活躍しており、年齢を考えると永綱・安綱父子が参戦したと考えるのが自然でしょう。
この富田城奪回戦で活躍した永綱・安綱父子は、真木、川副、山中らとともに、経久から執事に任命されます。
安綱は延徳2年(1490)の三沢氏攻略をはじめとする出雲統一戦に参加したのち、永世9年(1512)からはじまる備後攻略戦、永世14年(1517)の備後・美作出兵、大永3年(1523)の安芸出兵など、尼子氏のほとんどの戦いに従事したといわれています。
『雲陽軍実記』などによると、天文9年(1540)、晴久の代に行われた吉田郡山城攻撃にも参加したとされています。
こうして安綱は、子の秀綱とともに尼子氏の筆頭家老として絶大な権力を振るったのです。
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近江源氏佐々木氏は嫁さんの実家だったんですね。嫁の実家の姓をもらうって結構ありますよね。
2005/7/21(木) 午前 1:09 [ tak**han1*14 ]
いちおうそういう記述を見つけたので書きましたが、実際のところは不明です^^;
2005/7/21(木) 午前 8:01
亀井氏は尼子を語る上で重要な一族ですね。
元が義経公の部下からきているとは知りませんでした〜♪
現代の政界で活躍されている方々も
末裔でしょうかね? [壁]・ω・)ん?
ぽち☆
2008/10/4(土) 午後 5:04 [ - ]
>やまたろうさん
亀井久興氏と亀井静香氏ですね。
たしかに両氏はこの亀井氏の末裔ですよー。
亀井氏はのち津和野藩主となりますが、両氏はこの後裔です。
久興氏は直系の子孫で、静香氏は分家だそうです。
2008/10/8(水) 午前 9:02