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宍道隆慶(生没年不詳)宍道経慶の子。八郎・正隆・大炊頭。尼子氏の一門衆に列し家中に重きを成したが、大内義隆の出雲侵攻に降って尼子氏と断ち、富田城を攻撃した。大内軍が敗れるとこれに随行して山口に逃れ、後に毛利元就に従って出雲に侵攻して功をあげた。
宍道氏は宇多源氏佐々木氏の一族で、尼子氏初代・尼子高久の弟・秀益にはじまります。尼子氏の出雲入国に従って以後、その一門として家中に重きをなしました。 『尼子分限帖』によれば「宍戸大炊頭、隠岐国内・七万石」とありますが、これは「宍道大炊頭」の誤りであると思われ、これが宍道隆慶のことだと推測されます。 隆慶は尼子氏の諸戦に参加して功をたて、天文9年(1540)には、安芸吉田郡山城の攻撃にも参加しました。しかしこの郡山城攻めは、翌年正月に山口の大内氏が来援して大敗北となり、隆慶は命からがら出雲に逃げ帰ります。 この敗北により、隆慶は当主・尼子晴久の器量に危ういものを感じるようになりました。 そこで隆慶は、三沢為清、三刀屋久扶らの国人十三将とともに、連署をもって陶隆房(晴賢)に連絡をとり、大内氏へ服従と出雲侵攻の折の道案内を申し出ます。 大内義隆はこれに応じ、天文11年(1541)、山口を発って出雲遠征の途にのぼりました。 しかし、大内軍は緒戦の赤穴瀬戸山城攻めで手間取り、やっと富田城を包囲したのは翌年春になってからでした。 その後も晴久の軍に後方を撹乱されて糧道が遮断されるなど不手際が多かったため、先に寝返った三沢・三刀屋ら十将までもが尼子氏に再度寝返ってしまいます。 ここにいたって大内軍は総退却を余儀なくされ、尼子軍の追撃を受けて大損害を被ってしまうのです。 このとき隆慶は大内氏への忠義を貫き、尼子氏とは決別して義隆とともに山口に逃れますこの後、義隆によって優遇された隆慶は吉敷郡糸米村に居住し、大内の将となりました。 ところが天文20年(1551)、大内の重臣であった陶隆房が挙兵して義隆を攻め、滅ぼしてしまいます。陶隆房は、九州の大友氏から義隆の甥にあたる大友晴英(大友宗麟の弟)をむかえて当主にすえ、大内義長を名乗らせ、自身も晴賢と改名しました。 このとき隆慶は山口姫山に居城し、表面は義長・晴賢に従いましたが、その後、毛利元就が侵攻を開始するとこれに属しました。 こうして毛利の将となった隆慶は、永禄5年(1562)、子の政慶とともに毛利元就に従って出雲遠征に従軍します。 出雲に進軍した毛利軍は、出雲攻略の拠点として鳶ヶ巣を陥れ、これに築城します。この地は秀益以来の宍道氏の居城であったため、隆慶・政慶父子は鳶ヶ巣城主に任じられました。 その後、白鹿城攻略や月山富田城攻略に功を挙げた隆慶・政慶父子は、かつての出雲本領を安堵され、吉川元春に属して優遇されました。 その後、子の政慶も毛利氏に従って戦功をたてていますが、慶長5年(1600)、関ヶ原合戦に敗れた毛利氏に従って長州に移り、宍道氏の出雲での歴史は終わりを告げたのです。
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歴史は苦手なので変なコメントすいません。「宍道」という苗字の方って島根に多いですよね?今回の「宍道」氏の子孫などはいらっしゃるのでしょうかねぇ?
2005/8/1(月) 午後 4:05 [ どげだや ]
>どげだやさん え〜、宍道氏の名前は、宍道町の地名からとったものです。この宍道氏については謎が多くて分かっていることが少なく、研究はまだこれからのようですが、宍道姓を名乗る人はおそらくこの戦国武将の宍道氏とゆかりのある人と思っていいと思いますよ。先日、全国の宍道姓の人でつくる「全国宍道氏会」が結成されたようで、ニュースになっていましたね。http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=102632004
2005/8/1(月) 午後 4:40
何やら名門尼子氏VS新興毛利氏との代理戦争の様相です・・・下克上、裏切りの戦国絵巻ならではです。陶隆房は大内義隆を裏切り大内氏からもらった字(隆)を捨てて晴賢と名乗ったんですよね。ということは、宍道隆慶もそうなのでしょうか?
2005/8/1(月) 午後 5:05
>KOROKOROさん ご指摘、ぜんぜん気付かなかった〜^^;『尼子分限帖』は宍道氏が大内に降る直前に編纂されたものだそうで、ここには「大炊頭」の官命しか記されていませんから、ご指摘の通り、もともとの名は違っていたのかも?そして大内義隆の偏諱を受けたとするのは妥当ですよね。
2005/8/1(月) 午後 5:39
佐々木さん、ありがとうございます。たしか「全国宍道氏会」のニュースをTVで見ました。
2005/8/2(火) 午前 11:53 [ どげだや ]
>どげだやさん いえいえ!まあ、この研究はまだまだこれからのようなので、研究の成果を待ちましょう〜。
2005/8/2(火) 午後 0:56
宍道氏の決断は正しかったのですね。
毛利方についたため生き延びられました。
良かったと思います。
よい話をありがとうございました!ヽ(*・ω・*)ッ ありがとう!!
ぽち☆
2008/10/19(日) 午前 11:14 [ - ]
>やまたろうさん
宍道氏については、毛利に付いたというより尼子氏に属すのを潔しとしなかった、といったほうがいいかもしれませんね。
もともと、尼子氏も宍道氏も京極高詮の弟を祖としていますから、その意味で両氏は同格な訳ですから…
2008/10/22(水) 午前 1:53