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皐月早苗介(?-1570)五月・上田?・植田?。稲葉介?。尼子十勇士の一人で、尼子勝久の再興軍に加盟して戦った。勝間城の戦いで、三刀屋蔵人らとともに戦死した。
皐月早苗介は、尼子十勇士のひとりに数えられる武将ですが、実像がつかみにくい人物です。 実在の可能性が疑わしい人物が多い尼子十勇士ですが、早苗介に関しては、『尼子分限帳』にも登場しますので、実在と考えて問題ないでしょう。 ここでは侍大将として記載され、「備前国内・8千13石」とあります。 『雲陽軍実記』では、勝間城の城攻めで「上田早苗介」という名前で登場しています。また、諸本では上田ではなく植田としてあったり、名も稲葉介として登場したりと、一定ではなく定かではありません。 さらに、『後太平記』には、「五月早苗介」「植田稲葉介」のふたりが登場しており、それぞれ別の人物だったのかもしれません。 この早苗介の事跡はまったくといっていいほど不明です。 『尼子分限帖』に名を連ねながら、いつ、どこで、何をしていたのかがさぱり分からないのです。しかし、侍大将に列し、かつ尼子十勇士のひとりに数えられるほどなので、軍勢を率いて活躍したのは間違いないのでしょう。 早苗介が明確に登場するのは、その最期となる勝間城の戦いです。 勝間城の戦いは尼子氏の再興をかけた戦いのひとつで、このことから早苗介が尼子再興軍に身を投じて戦ったていたことが分かります。 勝間城合戦は、元亀元年(1570)2月の布部山合戦のあとにおこります。 布部山合戦は、尼子と毛利の主力が激突した戦いで、尼子方は善戦しましたが敗北しています。この敗戦の影響は大きく、尼子の諸城は次々と毛利の手に落ちてしまいます。 しかし、早苗介は出雲回復をあきらめず、三刀屋宗忠とともに佐陀勝間城の攻略を企画したのです。 この勝間城、宍道湖北岸から真山城へと通じる要衝であったため、湖北一帯の勢力挽回には欠かせなかったのです。 6月、早苗介は宗忠らとともに勝間城を攻撃しますが、毛利の将・志道左馬介の抵抗にあいます。戦いは乱戦となり、早苗介は激戦の中、宗忠らとともに討死してしまいました。 なお、早苗介の活躍は江戸期には『尼子十勇伝』などの講談もののもとになっています。
『尼子十勇伝』は史実とはかけ離れた物語ですが、この中で早苗介は幼い「尼子勝丸」を敵の手から救い出しています。 この話はもちろん、新宮党滅亡のときに尼子勝久が忠臣・小川重遠によって救い出されたことが元になっているのでしょう。 |
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十勇士は本当に謎が多いみたいですね。(。・ヘ・)ゞうーん
丹念に資料を分析されすごいと思います。
いつも勉強になります!…〆(ー ̄*)カキカキ
ぽち☆
2008/11/4(火) 午後 7:14 [ - ]
>やまたろうさん
まぁこうやって伝記を書いてはいますが、実際のところコノ人物が実在したのかどうかよくわからないんですよね〜。
2008/11/5(水) 午後 6:22