山中御殿

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湊山公園

イメージ 1
今日は天気が良かったので、米子の湊山公園に行ってきました。
もう10月も終わりだというのに、けっこう日差しが強くてジリジリ暑いくらい。

やくもは帽子をぬかるみに落としてしまってドロドロになったので、父の帽子をかぶって遊んでました。

…じゃっかんデカいけど、わりと違和感がないなー。
あたまでっかいね、やくもくん。

米子城址

イメージ 1本日はお休みでしたが、米子に行く用事があったのでついでに米子城に行ってみました。

米子城の麓部にある湊山公園は、桜の季節の度によく行くのですが、米子城の本丸跡まで登ったのは高校生の時以来、20年ぶり以上になるのかな?
10年くらい前に登ったような気もしなくもないけども、そうならこのブログに記事をアップしているはずなので、とくに記録に残っていないことからして、やはり20年ぶりくらいなのでしょう。

と、いうわけで久しぶりに史跡について、一筆書いてみようと思います。



【名称】米子城  【別名】久米城、湊山金城
【所在地】鳥取県米子市久米町
【遺構】土塁、石垣、礎石跡、天守台、井戸跡など
【形式】山城(総石垣近世城郭)  【築城者】山名氏か  【築城年代】文明2年(1470)頃


 今回は、山麓部、湊山公園の駐車場に車を止め、駐車場にほど近い登城路から山頂を目指しました。
 いま現在駐車場や公園になっている部分は往時は中海の一部で、今回の登城口は船着き場があったところだそうです。
 城主は船着き場からをくぐり、入城することもあったとか。また、付近には清涼な湧き水がわくところがあり、お茶を点てるときにつかわれていたという話もあります。

 登城口からいきなりけっこう急斜面ですが、ちょっと上ると道が二股に分かれています。一方は二の丸跡へ続く下り道、一方は山頂部へと続く道。
 本当は二の丸跡も見てたいところでしたが、そんなに時間がなかったのでとりあえず本丸を目指しました。
 ちなみに、二の丸に御殿跡があって、城主の普段の生活の場だったようです。二の丸からさらに下ると大型の枡形小口が見られます。ここが大手口だったのでしょう。こちらは国道9号線からも見ることができます。

イメージ 2 登っていくとふたたび道は二手に分かれ、片方は「内膳丸」と呼ばれる郭、もう一方は本丸へと続きます。
 「内膳丸」はすぐ近くのようなので、ちょっと寄り道(右写真)。
 けっこう広い郭跡で、樹木がなければ中海を見渡せるけっこう眺望の良いところであったものと思われます。
 二重櫓数棟と武器庫が設置されていたそうです。
 名前の由来は、中村一忠の家老である横田内膳正村詮が担当して構築したことによるそうです。

 ちなみにこの横田村詮という人物、もともとは阿波三好氏の一族だったようですが、中村一忠・一氏父子に仕え、一忠亡き後は幼少の一氏を支えて現在の米子城を完成させ、また米子城下町の整備を行って現在の米子の町の礎を築いた人物です。
 ところが、彼の政治手腕を妬む他の家臣のたくらみにより、暗殺されてしまいました。なんとも惜しいことです…

イメージ 3 内膳丸から本道にもどり、山頂へと昇ると、冒頭の写真の場所に出ます。
 写真では少しわかりにくいですが、むかって左に小さな天守台、右側に大きめの天守台があります。

 左の写真は山頂部にあった絵図ですが、絵図のように米子城には大小ふたつの天守があったようです。

 大天守は、慶長5年(1600)に関ヶ原の合戦の論功行賞で入場した中村氏の時代に建てられたもので、独立式望楼型4重5階の天守だったようです。
 一方の小天守は、それ以前に出雲・伯耆を領していた吉川広家が作ったもので、独立式望楼型3重4階の建物。吉川広家は関ケ原当時、米子城を整備途中で、中村氏は、この広家の事業を継続する形で米子城を完成させました。新たに建てた大天守が完成後も、広家の小天守は「四重櫓」と呼んでそのまま残したようです。

イメージ 4 本丸にはさらに2重の遠見櫓や多門櫓も作られ、これにより米子城は、外観的にもかなり重厚で見栄えのするお城であったことが想像に難くないところです。しかし残念ながら明治に入り、城は当時の金30円で古物商山本新助に払い下げられ、建物などはすべて破却されてしまいました。
 現在残っていれば、国宝間違いなし、山陰観光の目玉になっていたであろうに…「鷹の爪団のSHIROZEME!」だって、米子城で開催されてただろうに…

 まぁ、それはともかく、右の写真のように山頂天守台からの眺望は抜群で、往時に思いをはせることができます。

 なお、米子城はもともと現在の国道9号線の南側、飯山に築かれた砦がもとになっているといわれています。
 『出雲私史』によれば応仁・文明の乱のとき、尼子清貞が出雲に侵入してきた伯耆山名氏の軍勢を打ち払い、追撃したため米子に城を築き、そこに籠ったとされています。
 戦国時代、引き続き飯山のこの砦が整備され、尼子氏などにより支配されてきましたが、やがて尼子氏が敗れて毛利氏の支配下にはいります。さらに豊臣秀吉の天下統一がなると、出雲・伯耆を拝領した吉川広家が、支配の拠点を出雲月山富田城からこの米子城に移すことにして整備をはじめますが、このとき国道9号線北側の湊山に主郭を移しました。
 続く中村氏によって湊山の米子城が現在の形に整備され、飯山の旧米子城もそのまま湊山に対する出丸として、使用されたようです。

 今日は、地元の有志(と思われる)の方々が本丸周辺の雑草を刈っておられました。登っていくと、みなさん気さくに挨拶してくださいました。
 それだけ、地元の方に大切にされている場所なんだなぁ、と改めて感じた次第です。
 

「大阪 真田丸」絵図

イメージ 2左の写真は、現在、松江歴史館の特別展で公開されている「真田丸」の絵図。
「真田丸」とはご存知の通り、大坂冬の陣(1614年)で豊臣方の武将、真田信繁(幸村)が大阪城の南に築いた出城のことだ。

この真田丸の絵図は、今年7月に松江市で新たに見つかったもの。
「大坂 真田丸」と書かれたこの絵図は縦27.8センチ、横40.6センチほどの大きさで、松江市の男性が1953年に市に寄贈した絵画集「極秘諸国城図」(74枚)のうちの1枚という。絵画集を保管する博物館「松江歴史館」が今年2月に別の城を調査する過程で、絵図を確認した際、真田丸の絵図を発見したとのことだ。
絵画集の包み紙には作製時期を示すとみられる「元禄」(1688年-1704年)の文字が書かれていたということなので、これが事実であれば、これまで最も古い絵図とされていた、広島市立中央図書館所蔵の「摂津 真田丸」(1753年)よりも古いことになる。

イメージ 1
右が「摂津 真田丸」絵図。 見比べてみると、全体的によく似ているが、異なる部分もいくつかある。

まず、「大阪 真田丸」絵図は「摂津 真田丸」と異なり、南側にある堀を「惣構(そうがまえ)堀」と記載している。
また、南側の堀に下るスロープ状の傾斜路や、周囲の崖の外側に堀が回り込む構造など、細部も記されている。

そして絵図の北側には「出丸 廿五(二十五)間程」と記載があり、さらに出丸の東側には側面を防御する「腰曲輪(こしぐるわ)」も描かれている。
この腰曲輪は「摂津 真田丸」には描かれておらず、「摂津 真田丸」の北側にあった小さな曲輪は、しっかりと防御性を持たせた出城だったことも推測できる。

この北側の出城の意味はいろいろ考えられる。
万が一真田丸の主郭が陥落した際に、この出城に籠って抗戦するためのもの。また、北側に敵が侵入した際に、北に位置する大阪城本城と連携して攻撃するためのもの、などだ。
これらを見るに、真田丸が独立性の強い出城であったように思われる。

いずれにせよ、大河ドラマ「真田丸」も好調であることもあり、このあらたに見つかった「大阪 真田丸」絵図は注目が集まることは必至だろう。
しかし、どうも松江市はアピール下手。せっかくいい材料があるのに、絵図が現在公開中であるという情報がどうもいきわたっているように思えない。
松平直政が真田信繁から投げ与えられたという「軍扇」の存在もしかり、もっとアピールすべきだ。

城攻め!

イメージ 1昨日、「鷹の爪団のSHIROZEME!」参加してきました!
大人があんなに童心にかえってはしゃぎまわれるイベントもそうそうないだろう、と思いますです。
「オフィシャル髭男ディズム」のみなさんと共闘(白兵戦)もできたし、なかなか良かった!
年甲斐もなく走り回ったせいで、今日は少々グダグダですが(苦笑)...

ちなみに、鎧姿のワシの写真は、撮影してくれるひとがいないので有りません。あしからず…
反省としては、「草擦り」が長すぎたこと、胸の部分のいたが広すぎて、方が少々当たってしまうこと。
来年またこういう機会があれば、その点を留意して作成しよう。

なお、ムスメのさくらはワシの小学校時代の剣道着で参加。
「めっちゃ楽しかった」そうです。
 みなさんも、来年機会があればぜひ。

今年の松江城の桜 ケータイ投稿記事

イメージ 1

昨日の松江城。
桜も散り始め…桜吹雪が幻想的です。

今日は一転して雨なので、一気に散ってしまうかなあ。

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