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なんでしょうか、これは…(苦笑) |

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こんにちは、ゲストさん
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春日城は、春日神社の裏山、標高74.5メートルの古宮山にあった城で、下河原氏という、この地に勢力のあった一族の拠点の城です。 春日神社の境内に、一応登り口のようなものがありましたが、登山のためな整備された山とは言い難く、ほぼ道なき道を行くカンジです。 下草がほとんどなかったしごく小さな山なので登る苦労はさほどでもなかったのですが、頂上についても立木のために眺望を楽しむといったことは不可能でした(苦笑) ただ、下草がないぶん、山城としての遺構は良く分かりました。 そのおかげで分かったのですが、この春日城は出雲地方の城にしてはめずらしく、土塁(土を盛り上げて作った壁)や竪堀(名前のとおり、斜面に対して縦方向に掘った空堀のこと)を装備したお城でした。 出雲地方の一般的な城は、地形を生かして斜面を削平して郭をつくりますが、竪堀や土塁はないものがほとんどです。 出雲でこういった防御施設がある城は、毛利氏など出雲外からやってきた 領主の作った城であることがほとんどです。 この春日城は、神社裏手の登り口から幾筋か竪堀があり、中腹の郭までいくと竪堀のひとつがそのまま堀切(尾根などを切断するように掘って作った人工的な谷)となっています。 この中腹の郭が出丸のようになっていて、山頂にむかうには堀切を越えて登る必要があります。 山頂にむかうとさらに竪堀が畝状に作られていて、山頂の一の郭には土塁が最終防御施設として侵入者を拒みます。 このような施設があることを考えると、毛利系の城なのでしょうか? 応仁2(1468)年、応仁の乱において春日城主の下河原氏は西軍につき、東軍の出雲守護・京極氏に対立して守護代尼子清定の攻撃を受けました。 二度の攻撃で春日城は落城し、以後、尼子氏の支配下におかれますが、おそらく後年の毛利氏の侵攻時においてその拠点となり、毛利氏によって改修されたのでしょう。 |
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忠山城は美保関町にあって、尼子勝久が尼子再興の戦いを起こしたさい、最初の拠点としたところです。 但馬の山名氏の協力のもと海路出雲に上陸した勝久らは、忠山城を急襲して拠点とすると、出雲国内の尼子与党に連絡をとって軍勢を整え、やがて真山城を落として本拠地に定めました。 現在の忠山は頂上付近にNTTの電波塔がたっていて、そこまで舗装道路があります。 一般車両は入れませんが、歩いて上がるのもかなりラクチン。 ただしその分、山歩きの楽しみはありませんし、山城の遺構をさがすのにも不向きです。 山頂からの眺めはまさに絶景。 また、尼子家臣山中鹿介一族の墓がありました。 |
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ロープのジャングルジム(?)に登るさくら。
これくらいの高さならへっちゃら。 |
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包帯が痛々しい… |
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