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若潮酒造は鹿児島県の北東沿岸部、志布志湾に面した松林の中にある。ひろい敷地には多くの建屋や巨大な貯蔵タンクが並んでいる。工場横手のポット場には5トンの芋搬入設備が3つあり、一日二回合計で30トンの芋を受け入れ処理している。焼酎の一升びんにして一日16000本を生みだす規模の蔵である。
ある秋の日、まだ酷暑の余韻の残る日の昼にお伺いしたのだった。
社長の下戸(さげと)さんが事務棟の前で出迎えてくださった。
お名前は下戸でも、お酒は好きなんですよと仰る。明るい笑顔の社長だ。
応接室で挨拶もそこそこに蔵の事、造りのことなどをお聞きする。小生の気ぜわしい質問に対してもゆっくりと答えてくださる。おなじ薩摩人なのに、この違いはなんだとつい思ってしまう。
話が一段落したときに、下戸社長がちいさな声でこう言った。
「そいや、わっぜかとぜんねかったですよ(そりゃあ、さびしく哀しいものでしたよ)」
社長は「協業化」の時の話をしているのだった。
若潮酒造協業組合は昭和43年、5つの焼酎蔵が集まって協業組合を作って出来た。
「協業化、ということはね」下戸さんが続けた。
「自分の家の蔵がなくなる、ということなんですよね」
下戸さんの実家、下戸酒造はそのときに消滅し、長く造っていた芋焼酎「誠の誉」も永久に消えた。まだ20代初めだった下戸青年には深い痛恨の思いだったのだろう。
じつは、小生の父方の祖父(93で死去)はとんでもないのん兵衛だった。焼酎のお湯割りを欠かしたことは中学生のころからずっとなかったという。それで90歳を越えて矍鑠としていたのだから軟弱な小生とは出来が違う。その爺さんが毎晩愛飲していたのが「誠の誉」だった。
協業組合は言ってみれば社長の集まり。組合としての開発力や営業面での活性にはおのずと限界を感じることもあるのだろう。また、世代替わりに伴う税務上の問題などもあるだろう。
「二年前、株式会社になりました。これからも様々な試みをやっていきたいし、マーケティング面での課題もひとつひとつ解決してゆく体制をとりたいんですよ」
すでに7年前、手造りにこだわった「千刻蔵」を稼働し、手麹、甕仕込み、木桶蒸留機による焼酎製造を行っている若潮酒造は、トンネル貯蔵庫や、ひろい敷地を活かしたライブなど社会活動も行っている。一般消費者を対象にした芋焼酎造りの体験活動も、生産農家との協働で継続し、着実に焼酎のコアなファン(若潮さんのファンにも勿論なる)を増やしてきている。
「蔵を案内しもんそか」下戸社長に先導されて、広い敷地のツアーとなった。
芋切りのおばちゃんたちがせっせと手を動かしている。熟練した作業ぶりだ。外の芋受け入れ場からベルトコンベアで工場内に運ばれた芋は、芋洗い機をくぐっておばちゃんたちの手で処理される。その芋たちは工場の高い場所に設置された芋蒸し器に運ばれ、そのあと粉砕され水と混ざり合いながら、パイプで搬送されてきた一次もろみと混じり合い、タンクの中でさらなる発酵を始める。
芋処理以外はすべてが機械化されていてほとんど見ることができない。発酵を終えた二次もろみはパイプで搬送され、蒸留器に投入される。見学の途中、杜氏の原口修治さんが蒸留器の状態をチェックしているのに出会った。おびただしい蒸留器が稼働し、それぞれのアルコールメーターが動いているのをみるのはめったにない風景だった。
「こんどは、こちらに」ふたたび下戸社長の案内で蔵の中庭に出た。そこには合掌造りのシックな建物があった。
「千刻蔵ごわしと。手造りの小さな蔵です」
焼酎の製造工程を実際に目で見るには、こういう手造り蔵がいい。
千刻蔵には麹室、蒸し器、一次仕込みの甕、二次仕込みの甕、そして木桶蒸留機が整然と並んでいた。
この蔵では、色々な企画での焼酎が造られているが、なかでも知的障害者の若者たちによって造られる「夢しずく」はよく知られている。一心に蔵の床掃除に励んでいるのがその蔵人たちだった。
「和紙を漉く設備を作りたいと思っておったっどん。ラベルに使う和紙をね」と下戸さん。
知的障害を持つ若者たちに、さらに安全な、そして蔵としても意義のある作業場を作ろうというのだとか。
蔵の近くにあり、すこし前に拝見したばかりの水源、普賢堂湧水源から迸る清冽な水のように、アイデアと思いの尽きない社長だと、小生は枯渇・堕落した自分のアタマと心根を嘆いたのは言うまでもない。
巨大な仕込み工場とオートメーション化された瓶詰作業場をもつ若潮酒造は、またこじんまりとした手造り蔵をも運用している。
「社長は、どっちが好きじゃっと?」と、愚問を投げかけた。
「そいは、手造り蔵にきまっちょっよ」と社長は即答。
企業を運営し、発展させ、従業員をまもり、おばちゃんたちへの就労機会も確保する、そのためには工場の規模と最新の設備は不可欠だろう。そしてその運営体制という労務的な課題も大きいだろう。それでもなお、手造り蔵に流れる時間と空気を大切にしたいという下戸さんに、最後にこう聞いた。
「焼酎造りをしいちょいやって、ないが一番おもしろかですか?」
「尽きない興味じゃろかい。芋焼酎造りは農業じゃっと。(農家など)様々な人との縁もおもしてか(おもしろい)。原料や水といった扱う素材の多様性もおもしてかしなあ」
そう言って、はればれと笑う下戸さんは今、島原にあって普賢岳の爆発に被災した霧氷酒造の再建に力を尽くしている。西海の外海(そとめ)に移転して操業を始める同酒造のスタッフたちに若潮酒造での研修も行っている。千刻蔵で甕に櫂を入れていた若者も、来るべき霧氷酒造の再興のために修行しているのだった。
若潮酒造は人が人との縁を繋ぐ場でもあるのだなあと思った。
蔵を辞するときに、下戸社長が言った。
「これからのこの蔵をみていてくいやんせな。まったく同じ焼酎というのは出来ないように、若潮もこの独得の個性を活かしていきもんで。これからが発展へのスタートじゃっち思っております」
かつて廃業した下戸酒造の、今はもう使われていない石蔵のある風景が下戸さんの気持ちの底にあるかぎり、若潮酒造は前進してゆくのだと得心したのだった。
若潮酒造株式会社
鹿児島県志布志市志布志町安楽215番地
TEL:099-472-1185 FAX:099-472-3800
ホームページ
http://www.wakashio.com/
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千刻蔵はよか雰囲気ごあんどな。
下戸さあの人柄がよかふい伝わって来っよなレポートごあんど。
しかし恐るべき記憶力ごあんどな。ICレコーダーを回しちょっとごあしか?
2010/10/23(土) 午前 10:03 [ nishi_dc ]
よか蔵ごわした。貯蔵庫も、トンネルも売店も雰囲気がよすごわしたど。
レコーダーごわしか?うんにゃ、あたいはそげんな便利な機械があってん、機械音痴ごわんでつこがないもはんがを。
2010/10/23(土) 午前 11:45 [ nig*r*i ]