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大石酒造さんのかぶと釜を、写真で初めて見たのは平成13年。
この年の一月に柴田書店の『居酒屋』編集長、立山さんと編集者の池本女史からご案内いただいたムック『薩摩焼酎と奄美黒糖焼酎』に掲載されたものだった。
大石社長がカブトを両手にもって木樽に乗せる様子が撮影されていた。
そのとき、写真では見えぬ樽の中はどうなってるのか?と思った。それから、古い蒸留器のことを調べ始めたのだった。宝酒造が、まだすばらしいメセナ活動、「酒生活文化研究所(略称:酒文)」を展開していたころ。日本橋の研究所には何回か通わせていただき、研究者のみなさんが亜細亜各地で収集してきた蒸留器を見せていただいたりした。
焼酎の最終工程、それが醸造酒と決定的にちがう酒を生む「蒸留」作業。
本当に興味は尽きない。
閑話休題。
技術者らしい、用件のみのメールがきた。
引っ越し先の住所表記にすこしだけ言及されてあった。「西東京市ってネーミング。アイデンティティも風情もないね」なんだそうな。まったく同意。しかし、「田無市」よりはよいかと思う(田無市を「たむし」と読んだ人がいたし)。
閑話休題、なかなか本題にはいれないところがB型文科系。
で、大石さんからのメール。
「かぶと釜を持っている農民のイラスト、よかふに描いて送ってくいやんせ!」
小生の名刺や葉書に乗せている、そんな感じのカットをごらんになったのだった。
曰く、かぶと釜の説明にも使えるし、額にいれて社長室(あったっけ?)に飾るのもいいからということらしい。
説明資料と装飾の両用での御用だった。
以前描いた絵は肉筆の一枚もので、現在は鹿児島の宝納酒店に飾っていただいてある。
こんどは農民と子供たちを配して描き起こそうかと思っています。
ちょっと待ってくいやんせ、大石さん。
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