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週に三回ほどその店の前を通る。
やっと馴染みになった町の、駅近くの露地だ。
その店の名前もしらぬままに気にはなっていた。
ひとことで言えば古いこじんまりした居酒屋。
池波さんの世界なら、「めし、酒」という看板が似合いそうだ。
昨夕、通りがかりに見たら、店の引き戸が開いていた。
暖簾の間からみえる店内には誰もいなかった。
店の前でお隣さんとお喋りしていたエプロン姿の太めのおばちゃんと目が合った。
「お店、やってるんですかね?」
「どうぞ、どうぞ、どの席でもいいわよ」
店の女将だった。
B2ポスターくらいの大きさの紙に「本日のおすすめ」がギッシリと書かれていた。北の料理が多かった。
酒は、一の蔵、朝日鷹・・・ふ〜む。
焼酎もたくさんの銘柄が壁に貼り出してあった。
さつま大海、天狗櫻、白金の露・・・しぶいね。
八幡、桐野、侍士の門、寿・・・う〜む。
青島焼酎?
おどろいたことに、キープ用の麦焼酎は「とっぱい」だった。
秘酒「躍進」の南酒蔵さんの酒。
で、
「この青島焼酎って、なに?」と聞いた。
「あれ、どれだっけな」と女将。「焼酎のことはあんまりしらんのよ」
青島焼酎は、「青酎」のことと瓶をみてわかった。
「息子が送ってくれるんでねえ、まかせてるん」
「息子さん?お酒屋さんですか?」
「いえいえ、料理店をやっとるのよ」
女将の顔が満面の笑顔になった。
「代官山でね、割烹をやっとるの」
「エラい息子さん持ってよかですねぇ」
「そうなんよ!」
朝日鷹を燗付けしてもらい、茹でたホタルイカでちびちび。
尾込さんの酒を半々でお湯割り、アテはほっけ塩焼き。
笑顔を絶やさない女将と話していると、そうとうにできあがった酔っぱらいが入ってきた。
「きょうは酒はいらんよ。お茶たのんます。それとマグロの中落ち」といきなりへろへろな調子で女将に言ったその客はこの店の常連らしい。
お茶でマグロ?
次に入ってきたのは熟年カップル。
こちらもおなじみさんのようだ。
女将がカップルの相手をしている間に、お茶とマグロ男に聞いてみた。
「もう、この店は長いんですか?」
「おうよ、二十年くらいはかよっとるかのう」
「この店の魅力はなんですかね?」
男はマグロを箸で掴もうとして失敗しつつも答えてくれた。
「ここの暖簾をくぐるとな、それだけで幸せになるのさ。それが魅力かなあ」
ここにも、しられざる「名店」がありました。
暖簾の向こうには幸せになる空気がある。
その空気は女将と客が醸している。
いっぱいだけで帰るつもりが、本日のパートの稼ぎをほぼ使い果たすまで呑んでしまった。
「宵越しの金は、持てない」貧乏稼ぎの客、新しい店発見の一幕でした。
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