ひるね蔵ダイヤメ日記

芋焼酎すきな飲んべえの徒然です。

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薩摩路10日目、雨。

4日に江戸から薩摩に飛んで、はや10日となった。
5〜7は薩摩半島を廻った。
佐多宗二商店、吉永酒造、大石酒造…お話ししたい、お聞きしたいことがたくさんあった。
吉永酒造は初めて伺った蔵。
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写真は大石さんでの出麹風景。
7日の朝。
 
詳しい訪問記録は別途書くつもりです。
時あたかも(と、気張ってどうする)、阿久根は「伊勢海老祭り」の最酎。
堪能させていただきました。感謝。
加世田では、なつかしい友人にも会えて一献。よか晩でした。
 
また、時あたかも、阿久根は有名な市長を巡るドタバタの真っ最中。
全国的に有名になった市役所も見ました。はやく落ち着かないと市民生活が大変だ。
 
9〜10は、薬丸自顕流顕彰会の本部&東京道場の合同合宿稽古。
南洲神社での稽古、四方学舎でのこどもたちの鎧着用の稽古は妙円寺参り出陣準備だ。江戸からの同門たちがこの風景やいろは歌や論語を読む子供たちを見て感嘆していた。よかよか!
イメージ 2こどもたちの元気な声と笑顔が溢れる場がいいなあと思わせてくれた。
 
翌日は宗家本部に隣接する玉龍中学・高校の裏手、島津歴代の墓所である福昌寺跡での稽古。
宗家はじめ同門一同の激しく楽しい稽古となった。
おわって宗家宅で懇談。
調所一郎顧問が著書の改訂版を宗家宅に送ってくださったので一部戴く。
 
そして、10日の午後、同門玉利さんの車両で岩川へ。
岩川で黒豚の牧場を営む玉利氏の縁にも物語は多くあるのだけれど、これもまた書きます。
(※玉利農園の豚は、ある精肉のプロをして「奇跡の肉」といわしめたほどの美味です)
11月の弥五郎どん祭りの打ち合わせを、実行委員会・世話役の方々とすませて懇親会。
岩川の農士、からいも屋のおっちゃんこと、竹下さんとも再会一献の夜でした。
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翌日、竹下さん玉利さんとともに志布志へ。
海のすぐそば、若潮酒造を訪ねたのだった。
操業している工場を流れに沿って下戸社長に案内、説明していただいた。
焼酎工場の見学は初めてという玉利氏もとても興味深い様子だった。
 
夜、宿で下戸さん、竹下さんたちと懇談会というか、飲み会。
海の波音を聞きながら焼酎を飲み、かつ語る。よか晩でした。
 
翌日、中山江里子女史の車で太久保酒造へ。中山社長が待っていてくださった。華奴を造る蔵。侍士の門もそうだ。中山社長が「芋」へのこだわりを語る横で、江里子女史がにこやかにほほ笑む。実は娘さんなんですね。
志布志の町中にある「天世味酒販」にゆき、前畑社長と合流。
大崎にある製造工場へと向かう。
ここはまことにこぶりなそして風情の良い蔵だった。
三人の若い製造担当者たちに迎えていただいた。
きのうドラムで製麹を始めたばかり。
ならぶ一次仕込み用の甕がゆっくりと緊張感をましているようだった。
 
夜、財部の前畑さん宅でのんかた。
ここは小生の父方の田舎、伊崎田のとなりの町、というか村。大気のなかにはるか昔の故郷の香りをかいだようなきがした。
 
みんなさあ、いろいろありがとうございました。
よか旅でした、というかあと二日残っているけれど。
あすは実に興味深いものを造る蔵にうかがう予定です。
 
 

日本酒の日。

10月1日は、日本酒の日。なぜ? ↓ こういうことですな。

http:// www.kt. rim.or. jp/~wad ada/1sa ijiki/s aijiki1 0_1.htm l

と、いうわけで虎ノ門の日本酒造組合中央会。
午後五時からの鏡割り&振舞い酒。十五分くらいまえだったのに、もう長蛇の列。
のん兵衛は万古不滅。酒のあるところに集まる。

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中央会のスタッフが「日本酒」の法被を着て準備酎だった。
本格焼酎・泡盛部会のM氏に挨拶。
昨年末、北京で行われた「日本焼酎文化セミナー」でお世話になった方だ。
「日本酒部会のお手伝いですよ」とか。

鏡が割られ、杉の薫りふんぷんたるマスで振舞い酒が始まった。
ならんだオヤジ(だけでなく、若い男女も多い)たちの嬉しそうな表情。こうでなくては。

小一時間で樽はカラになり、イベント終了。
スタッフの懇親会で飲んでいたら着電。
旧知の日本酒研究家、Tさんだった。
御一緒してならべられた吟醸をかたっぱしから試飲(試飲か?)しながら日本酒談義。
おつまみもかたっぱしからhttp://img.mixi.jp/img/emoji/241.gif

組合の方に挨拶して会場を後に。
新橋駅近くのスペイン風立ち飲み「バルビエン」。
若潮さんの黒麹仕込み、大海さんの白麹仕込みの酒をお湯割りで。

Tさんと木場の料理屋「つちや」に移動。
すでにおなかは一杯満杯。
女将、ごめん。

カウンターでTさんとお湯割りをいただきながら語る。
後ろのテーブルに美女と野獣が陣取っていた。
客室乗務員I女史とクリエイティブディレクターのK氏(以前の同僚)だった。

過ぎし日のことどもを語るオヤジたちに、美麗女史が退役軍人たちを見るようなまなざしを優しく投げかけていた(文法変?)。
それにしても、
この美麗女史、酒が強すぎる。
つちやの女将とおなじ匂いがする。

軽くお湯割りをいただいたのち、池袋に単騎行。
改装なったBETTAKOにはいつもどおりつわものたちが。
 
「改装って、店は変わんないね?」
「板場だけですよ」と若女将のともちゃん。
この店の中の空気は変わっていなかった。ありがたし。
 
「これ、美味しいお酒よ」
カウンターで飲んでいらしたJ女史からまんさくの花をいただいた。
ありがたし。
窮乏老人にはなによりのお恵み。
 
その瓶をふところに、そっと店を後にして帰路につく。

さて、月曜日から二週間の薩摩取材。
あいだに二日間の薬丸自顕流の合宿を挟む。
同門と共に岩川にもいく。わが生まれ故郷。
芋農家のT下さんに会うのが楽しみである。
古武道の話をFさんとも語りたいし…。

飲みすぎ、酎意…で参ります。
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中国&中国人を知らん連中が外交交渉やっちゃだめ。
……というか、国家戦略のない政権自体がだめだめでしょう。

温wen爺さんの無条件釈放要求に対して、
患政権は無条件降伏してしまった。

降伏した敵には、「武士の情け」をかける、という浪花節は
中国には通用しません。
「水に落ちた犬はさらに石で打つ」のが大中華様の常識。

これでフジタの人質、油田の盗掘、尖閣諸島の侵略……
すべて中国様にカードを渡してしまった患政権。
奸内閣的想法非常幼稚、愚蠢極了!(支那語で、バカも極まれり)です。


海保も海自も、賤国棺房長官の強圧で日和った那覇地検も、
今後はやる気がしないでしょうね。
さて、次は琉球でしょうか…。
 
(写真は2009年冬:天安門上)

敵は中国ではない。

評論家、中国ウオッチャーの宮崎正弘さんとは数回お会いしたことしかない。
最初は出版記念会、あとおは宮崎さんの講演会、座談会くらいである。静かな口調で淡々とお話しされるのだが、その底流には激しい正義感が隠れているのがすぐわかる。のん兵衛でもある^^;。

テレビに登場して愚にもつかないことをしゃべっている外交評論家、中国研究者たちとは全く違い、宮崎さんはあ中国全33省を歩き、中国語で現地の人々と話す。よく入国拒否にならんもんだと思うほど。
そして、マスゴミのバイアスなしの率直にして鋭角な論評は小生は非常に好きであり、メルマガも愛読している。
そのメルマガからご紹介する一文。まったくそのとおりだと頷くしかない。


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成22年(2010)9月25日(土曜日)貳
通巻3077号 

敵は中国ではなかった。敵は日本の政治の愚劣さ、政権の優柔不断
ハンニバルが言った。「ローマは敵でなかった。敵はカルタゴ議会だ」
************************************

毒餃子事件で中国は、いきなり「犯行は日本で行われた」と言った。白を黒と言い張る特質、よもやお忘れ無く。
石家庄で、フジタの四人が「軍事施設を撮影した」とイチャモンをつけられて拘束された。思い出してください。毒餃子の天洋食品は石家庄です。河北省の省都。いまでは北京から新幹線で一時間55分。

SARS(新型肺炎)が世界的パンデミック(伝染病)で恐慌に陥ったとき、伝染があまりにも迅速でばたばたと何人も死んでいるのに中国は事件を伏せた。
その結果、事態は深刻化して、あのときは日本からの観光ツアーがぴたりと停まった。筆者は上海から寧波へ行った帰りに特急列車の切符がその場でとれた。そもそもきっぷ売り場が閑散としていた。乗り込むと同じ車両の乗客は、筆者のほか三人だった。上海までずっとそうだった。超満員の鉄道があとにも先にもあれほどがら空きだった唯一の経験。
SARSの原因は中国なのにかれらは延々とシラを切り通した。

AIDSでは、河南省だけでも最低60万の患者がいるのに、それを告発した女医を拘束した。国連でも中国AIDS患者を700万人と推定しているのに、中国はいまも60―80万人前後だと言い張っている。
AIDS対策は後手後手となり、患者への差別は甚だしく、だが中国は『我が国は衛生的である』と虚勢を張っている。

反日暴動(05年)では被害にあったレストランには損害を賠償するからといい、ついに支払いがなかった。日本は静かな抗議を示すために北京の大使館と上海の領事館の施設を破壊されたままとして一年間放置したが、一部例外を除いて(宣伝用)、ついに中国側からの賠償はなかった。

ならず者船長は25日午前二時、中国があたかも“凱旋将軍用”に飛ばしたチャーター機に乗せられて悠々と石垣空港を離れ福州に向かった。中国では英雄扱いを受けるだろう。
日本の多くは、この政権の対中屈辱外交を悔やんだ。

カルタゴの名将・ハンニバルはアルプスを越えてローマの目の前にあり、あと一歩で陥落させられるというときにカルタゴ本国から帰国命令がきた。泪を流しながら、ハンニバルは言った。
「ローマは敵でなかった。敵はカルタゴ議会だったのか」。

そうか、日本の敵は中国というより、カネのためには名誉をすてて屈辱を受けても恥じない我が国の政府だった。

日本刀のこと。

ごく普通に生活していて、日本刀に接する機会はあまりないのかもしれない。
博物館、美術館や百貨店などで、展示されているものをガラス越しに見たことのあるかたはいらっしゃるだろうけれど、ご自分の手にとって見るという経験は少ないだろう。

日本刀は「手にとって」観賞するのが一番。
しかし、刀を手にする以上は作法というものがある。

他の人の刀を拝見するとき、自分の刀を手渡しするとき、鞘から刀身を抜くとき、そして納めるとき…基本の作法を知らないと手にとって見るという行為自体がムリである。
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薬丸自顕流では、日本刀をたばさんでいた先人同門と同じ稽古をしている。
それと同じように武人の生き方の規範的存在としての刀に、先人と同じ思いで接することを大事にしていきたい。そのため、年に数回は「刀剣研究会」を行う。公共施設の広い和室を借りて実施している。
いつからか同門の知人友人という方々がお見えになるようになった。あまりない機会だから是非と歓迎申し上げている。 来月には鹿児島本部奉納が行われる大隅でもこじんまりとした「研究会」を実施する予定。

今度の日曜日、稽古のあとに実施する研究会では、
1.日本刀の基本〜一般的知識と取り扱いの作法
2.調所一郎氏(刀装研究家・薩摩藩家老調所笑左衛門直系)による講演
3.薬丸自顕流の抜刀そして納刀の実際〜稽古
を、行う。
資料を毎回の講師が用意するのが常である(講師は上級者の持ち廻り)。

きょうは雷がひどかった。
落雷にパソコンが壊れやしないかとビビりつつ何枚かの資料を作成したのだった。
写真は愚娘にシャッターを頼んで撮影した「刀の鞘からの抜き方と納め方」です。
もちろん敵に相対して、拵から抜き即斬る抜刀の方法とは違う。
それは当日の稽古の時に行います。

日曜日、予報通りに晴れてほしいものです。

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