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2012年1月4日 | 2012年1月6日
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三年前横浜で薬丸自顕流の紹介演武をしたことがある。 生麦事件記念祭だった。 島津久光公の行列を乱した英国人リチャードソンを斬ったのはたしかに当流の先人である奈良原喜左衛門だ。 しかしそのことと生麦で演武したことに政治的関連性はない。 大陸での商館経営で、中国人を扱うこと奴隷のごとくといわれたリチャードソンが日本で客死したことには別に同情はしないが、日本人は死者に対して冒涜することなどない。 今年は生麦事件が起こった文久2年(1862)8月21日から150年。 この事件を契機として薩摩は英国と戦いさらに同盟を結び留学生をかの地に送った。 薩摩が倒幕開国へ転換した先がけとなった事件と言える。 その歴史的意義を考えてみたいと思う。 イラストは下からの抜きつけから、自顕流の基本である「蜻蛉」にとって疾走する形(かかり)、そして右蜻蛉からの斬撃。 生麦での事件をモチーフに描いたものです。
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