|
皆さん、こんばんは。
この動画は昨年末から今年の5月まで札幌の北大博物館で天二号基が公開されていた際に撮影されたものである。 明治38年(1905年)、ポーツマス講和条約の結果、北緯50度以南の樺太(以下、南樺太)が日本領に「復帰」した。
翌明治39年6月より天文測量による両国国境査定作業が始まり、同10月より北緯50度線を中心に東はオホーツク海岸から西は間宮海峡海岸に至る131kmの森林ツンドラ地帯を幅10mにわたっての伐採。その際、国境を示すものとして北緯50度線上に置かれたのが、4つの天測標石と17ヶ所の中間境界点と19本の木標であった。 そして作業終了後の同11月、日露国境画定に関する日露両国会議が日本郵船小樽支店で行われた。 この写真が天文測量により日露国境を示す標石とされた天測標石である。高さ約70cm、横約60cm、 幅約20cm、重量約110kgの花崗岩で全部で4基作られた。南面には上に大日本帝国の文字、真ん中に16花弁の菊の御紋、下に境界との文字が彫られ、北面は上に (「ロシア」の意)、中に双頭の鷲の紋章(ロマノフ家の家紋)、下には 1906(「境界」の意)の文字が、側面には天第二号明治39年の文字が彫られている。尚、この花崗岩は愛知県岡崎産(青森県産説もあり)のもので、岡崎市の石職人の手で掘られたものである。 天測標石の設置場所は第一号基が樺太東海岸の鳴海、第二号基は幌内川西岸の森林内、第三号基 は半田の中央軍道(日露戦争末期に日本軍が作った唯一の南北樺太縦貫道路)路上、第四号基は西 海岸の安別に設置された。尚、この標石は夫々、ベトンで出来た台座の上に設置された。 朝鮮半島と中国・満州(満州事変以降)・ソ連との国境は川という自然国境であったが、樺太は違ったため、国境を表わす石がおかれたのは、樺太だけであった。 4つあった天測標石の中で、現在、日本国内にあるのは天二号基だけである。 また、レプリカが展示されているのは、 旭川…護国神社境内 札幌…北道神宮境内の札幌開拓神社 東京…明治神宮境内 東京…憲政記念館敷地内 樺太の豊原市内にある樺太庁博物館(サハリン州郷土博物館)に展示されているものは、天3号基のレプリカであるという説が有力である。 日本国内唯一の実物である天二号基は根室市歴史と自然博物館が所蔵し、公開している。もし根室まで行く機会があれば、是非、同博物館まで足をのばされる事をお勧めする。 |
樺太における対ソ戦研究
[ リスト ]


