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みなさん、こんばんは。
実は私の職場、学園祭のおかげで今日から6連休なんです。 学生さん、ありがとう! そんな学生さんには、自分の学生時代を思い出して、この歌を。 くれぐれも救急車のお世話にはならないで下さい。 今日は、隣の市の図書館(と言っても電車と歩きで30分ぐらいのところですが)に行って、ある私家版の本にを調べて参りました。 今、昭和20年8月15日以降、北海道周辺でのソ連軍の軍事行動やそれに対する日本軍の行動を調べています。 今は亡き旭川の郷土史家の方の私家版の本によると、同日に大本営は北海道の一部の陸軍部隊に対し、ソ連軍の上陸(勿論、「進駐」ではなく、「侵攻」です)に備えるよう命令を出し、それによって一部陸軍部隊は稚内、留萌、札幌移動したとか。 また、樺太で陸軍が民間人脱出のための必死の抵抗を続け、民間船がソ連の攻撃をうけながらも、これまた必死で一人でも多くの人を北海道へ脱出させようとしている時期の海軍の不思議な行動。 「敗戦のどさくさ」という言葉でくくられ、あまりにも知られていない、日本人として知るべき事柄が隠されているように思います。 ところが、皆さんもご存知の通り、敗戦時に軍、内務省(警察を含む)関係では徹底的に文書を焼却処分しているため、防衛研究所にはそのような史料が残っておりません。 そこで、この件について関係部隊の編成地の図書館をまわって史料探しをしたり、関係者を探してはお話を伺ってまいります。 考えられるところには、全て出向き、足を使って調べております。 そこで「点」のような手がかりを見つけては(見つからない方が圧倒的に多いですが)それを手がかりにまた調べるということの繰り返しです。 でも、そうやっていると益々、疑問が出てきます。 まったくきりがありません。 再発見した事実と証言、史料を元に自分なりに検証を行っておりますが、いくつか「点」がみつかっております。この「点」と「点」を結んで、ある程度の仮説をたてているというか、想像しているのですが、それを裏付ける証拠、証言がまだ足りません。 とはいっても、この困難さは決して不快なものではありません。 笑われるかもしれませんが、気分は「インディージョーンズ」です。 私にとって、歴史を調べると言うことは「宝探し」で、これ以上楽しいことはありません。 でも関係者になかなかたどり着けないのには、困ります。 現代史というものは一般に50年たたないと本当のことは書けないといいますが、確かに50年たつ前に防衛研究所で編纂された戦史叢書を読むと「かけなかったんだろうな」と思います。 そして、実際「かけなかった」という話も関係者から聞きました。 とはいえ、戦後65年の月日は長すぎました。 当時20歳の方が今では85歳です。 日本人男性の先日の報道によると、平均寿命は79歳だそうです。 もう佐官クラスの方、つまり諸計画を立案していたり、現場をきりもりしていた当時30代、40代の方のお話を聞くことはかなり難しいのが現実です。 しかも、防衛研究所が戦史叢書を編纂する際のインタビューの記録を見ても、肝心なことを語らず、「墓に持って行ったな」と思われる方々が少なくないように思います。 去年どっかのテレビ局で放送していた「不毛地帯」というドラマがありましたが、あれで柳場さんが演じていた役のモデルとなった人は主人公同様、その典型だと思います。 今もはやっているのか知りませんが、スピリチャルカウンセラーで名高い E原さんが本物なら、ぜひ、ご協力いただいて「霊界インタビュー」を行いたいところです。 明日は私にとってのディズニーランドである防衛研究所に史料探しに行ってこようと思います。 よし、頑張るぞ! |
樺太における対ソ戦研究
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