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こんにちは。
今日は、いつも勉強させていただいています、ふーまんさんのブログにすばらしいお話がありましたので、ご本人さまの了解をいただき、転載させていただきます。 尚、文中に登場する方、ならびにふーまんさんからのご依頼がございましたら、即削除いたしますので、あらかじめご了承下さい。 http://sns.mynippon.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=217038&comment_count=26より 過去にもあった 陸上自衛隊、知られざる活躍 先日、『頑張れ日本!全国行動委員会岡山』の関係で、岡山県総社市の前市長竹内洋二氏(現日本会議岡山議長)と頑張れ日本岡山の役員を交えた会食の場に同席させてもらいました。
私のような者が同席を許されること自体が奇跡ですが、普段は絶対に口にする機会のない季節の味覚を堪能しながら、竹内氏のお話しに聞き入りました。 非常に多岐に亘る興味深い話題が続く中で、今から10年前(平成13年)の3月12日に発生した砕石現場崩落事故の時のお話しには、箸もグラスを持つ手も止まってしまいました。 岡山県の方なら当時の悲惨な事故をご記憶の方もおられるかと思います。 高梁川に面した砕石現場の斜面が高さ250メートル、幅150メートルにわたって崩落し、2名の方が死亡、1名の方が行方不明になった痛ましい事故です。 当時のテレビや新聞でも大々的に報じられましたが、実はそこで陸上自衛隊の皆さんが決死の活躍をされていたのです。 もちろん、マスコミがそれを報じる事もなく、総社市のすぐ近くを仕事で回っていた私は噂さえ聞くことなく、会長【テル爺】さんや事務局長【hodakaichirou】さんでさえご存じなかったのです。 以下、竹内氏からお聞きした内容を、私の記憶が薄れない内に書き綴り皆さんにご紹介します。 なお、この場に記事として投稿することは、竹内氏に了解を得ています。都市名や竹内氏の実名を伏せようとしましたが、「事実を伝えるのに、そんな配慮は不要」とのことでした。 また、文中登場する人たちの事を貶めるつもりなど毛頭ない事を予め申し上げます。 長くなりますが、お時間の許す方はお付き合いください。 文中生々しい表現もあろうかと思います。これも予めご了承ください。 また、文末に「〜そうです」が頻発しますが、これもご容赦ください。そもそもボキャブラリーが乏しいのと、のんびり考える余裕がありません。 当時の市長が竹内氏(以下市長)で、事故の一報を受けると直ちに車を現地へ走らせ、消防長よりも早く到着されたとか。 現場では近くの消防隊が駆けつけるものの手がつけられない状態で、それでも、ひっくり返ってキャビン内が砕石で埋め尽くされた重機の中から、どうにか一人のご遺体を発見したそうです。 直ちに市役所へ引き返すと同時に、現地へ対策本部の設置を命じ、市長の判断で自衛隊へ災害派遣を要請したそうです。本来は県を通じて派遣要請を行なうのですが、そんな悠長な状態でなく条件反射的に要請したそうです。 その事に対して、県の責任者は「勝手にやってもらっては困る」と市長に詰め寄ったそうですが、市長は反論することもなく、とにかくひたすら頭を下げ続けていたそうです。 岡山県北部の奈義町にある陸上自衛隊日本原駐屯地から、派遣要請からわずか3時間ほどで200名以上の隊員がトラックを連ねてやって来てくれたそうです。地元だからわかりますが、日本原から総社まで3時間で展開するのは驚異的な早さです。 着くや否や中隊長の「捜索開始!」の号令で、既に打ち合わせをしていたかのような機敏な動きで、直ちに民家ほどもあるような巨岩の間に身体を突っ込んで、隙間に生存者がいるかもしれないと、消防隊と一緒に「おーい、おーい」と声をかけて捜索を開始したそうです。 この後も出てきますが、本当に号令一つで何をすべきか瞬時に理解して、一切無駄のない素晴らしい行動だったそうです。 お話しの内容があまりにも衝撃的で、以後時系列が前後するかもしれませんが、どうかご容赦ください。 日が暮れても捜索は続いていたところ、真っ暗闇で次の小さな崩落が発生し、2次災害の危険があるからと、一旦捜索中止の理解を求め、集まった被害者の家族に丁寧に状況説明を行いました。 時間は23時頃で、日の出まで待ってもらうよう懇願しても被害者の家族はいきり立って「見捨てるのか!」などと興奮状態が収まらなかったそうです。 お断りしておきますが、被害者の家族であれば「もしかしたら生きているかもしれない」とういう一縷の望みをかけているわけですから、常軌を逸した言動になるのも当然かと思います。 らちがあかない状況だったのを横で見ていた中隊長が無言で立ち上がり、テントの外に出ると「2(3?)列縦隊集合!」「ただ今より捜索を再開する!」と発令し、危険を顧みず捜索を再開したそうです。 市長がお礼を述べると、中隊長は「我々は銃弾が飛び交う中を想定した訓練をしています」「石の一つや二つどうということはありません」とおっしゃったそうで…。 その様子を見ていた被害者の家族も声が出なくなったそうです。 捜索過程で他のエピソードがあります。 捜索を続けていると、少し離れた場所でご遺体を発見したそうです。その方は迫りくる岩石から必死で逃げていたのでしょう。 ご遺体の状態はここでの表現がはばかられるのですが、自衛隊の皆さんはご遺体を取り囲むようにして立ち、今度は一斉に岩場に這いつくばってご遺体の全てを回収すべく、髪の毛1本までビニール袋に集めたそうです。その捜索方法は、いささか刺激が強すぎますので割愛します。 とにかく、ご遺体を少しでも完全な姿でご遺族に引き渡そうとの、強い意志の現れです。 また、他のエピソードもあります。 捜索が4日目ともなると、現場に詰めている職員も心身ともに疲労困憊状態になり、婦人会の皆さんが炊き出しで用意してくれるおにぎりを見て、市の職員は思わず「また、冷たいおにぎりか…」と呟いたそうです。 公務員と言えども何も訓練をしていない普通の人ですし、寒い中風呂にも入らず不眠不休で対策にあたっているから、悪気がなくとも出てしまった言葉でしょう。 市長もその事を責めている訳ではありません。「誰でもそう思う」とのお考えです。 一方、自衛隊の皆さんは婦人会の方にビシッと敬礼して「いつも美味しい食事をありがとうございます!」と言ったそうで…。 約2週間現場で捜索にあたってくれた自衛隊の皆さんが引き上げる時には、ご婦人方が思わず「私、ついて行きたいわ」と言ったとか…。 自衛隊については後日談があります。 その崩落事故の翌年、今度は総社市内で大規模な山火事が発生しました。 当然市長としては対策本部の設置を検討したり、やる事は山のようにあるわけです。 と、そこへ誰も呼んでいないのに1台の自衛隊のジープが駆けつけたそうです。そう、前年決死の捜索をしてくれた日本原の自衛隊です。 隊員は市長に敬礼をして「中隊長の命令により、何かお役に立てることはないかと思い、やってまいりました」と挨拶し、消化剤を散布するヘリが必要とわかると即座に連絡し「翌朝0900、海田(広島県)より6機で消火作業にあたります」と回答があったそうです。 実際、翌朝6機(内1機は偵察用らしい)のヘリが飛来して、消化剤を散布するとたちどころに鎮火したそうです。 自衛隊側から総社市に求められたのは、「消化剤を補充しなければならないので、その実費だけ負担してほしい」というものでした。 以上で、皆さんにご紹介したい内容は終わりです。 もっと文才があれば立体的に簡潔にお伝えできるのですが、それができない己を悔やむしかありません。 拙い駄文が続いて申し訳ございません。 |
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その頃、営内生活の陸士だった
警察の先導で出たけど、遠足気分だった
砕石場に行ったら崩落が凄くて空気は切り替わった
重機も入れず、斜面を歩きながらの捜索だったけど、やる事はほとんどなかった
学校の体育館で寝泊まりして、食事はおにぎりだけだった
自衛隊は役に立っていないと言われたw
足が早いからと普段、持続走の錬成で中隊に居ない3曹が張り切っていた。他の陸曹にも足だけで3曹になったと言われていた。
オチとして、学校が体育館使いたいってことで追い出された記憶
トイレ掃除はしっかりやらされた
2018/7/7(土) 午前 11:15 [ 黒ムツさん ]