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ソ連参戦時、半田には第七中隊所属の1個小隊(長:泉澤尚太郎少尉、以下35名)国境警察隊が防御にあたっていた。10日朝、歩兵第百二十五連隊の主陣地(八方山)前方の守備を強化するため、第二大隊所属の第八中隊(長:佐藤薫中尉)が増派された。ソ連軍の本格的侵攻が始まるまでの2日間に国境陣地への部隊展開をおえた歩兵第百二十五連隊長は半田地区守備を第二大隊から第一大隊へと変更し、増派したばかりの第八中隊を八方山南東の北極山に撤収することに決めた。その命令は10日の夜遅くに部隊に届き、11日早朝に同中隊は北極山に撤収した。また、当初より警備についていた泉澤小隊も第一大隊からの交代兵力の到着後に、同地を撤収することになっていた。
第八中隊の撤収と入れ違いに第一大隊第四中隊第一小隊(長:大国武夫少尉、以下34名)が無線分隊(8名)と共に到着したが、泉澤小隊との引継ぎは速やかには行なわれなかった。両少尉は共に学徒出陣、幹候8期生で親交が厚かったようで、同連隊通信有線小隊長であった鈴木孝範少尉の回想である『樺太国境守備隊の終焉』によると、「陣地守備交替のために進出してきた大国小隊長と、ソ連軍の侵攻を目前に、地形および陣地の様子を知らない隊に引継ぎ撤収することはできないと主張する泉澤小隊長は、しばらく互いにゆずらなかったと聞く」。泉沢小隊長は、以前、半田を視察に訪れた師団参謀長の鈴木大佐に「4時間、ここでソ連軍を釘付けすること」との命令をうけており、死を覚悟すると同時に、寡兵をもって、ソ連軍を食い止める任務を、同地に不案内な到着したばかりの部隊に、それも深夜に託すのは、無責任と感じたであろうし、情においても忍び難かったのであろう。また大国小隊長も軍人として受けた命令とその運命をそのまま受け入れ、むしろ当地での玉砕をまぬがれることが出来る泉澤小隊を、命令どおり撤収させたかったのであろう。
しかし交替が命令である以上、泉澤少尉は、それを拒絶することは当然できず、両小隊の交替がほぼ終り、また、泉澤少尉は大国少尉に国境警察隊の警部派出所内で陣地の説明行った。そして現地での詳細な説明をすべく、2人が軍道に出た午前5時頃、ソ連軍の攻撃が開始され。撤収を目前にしていた泉澤小隊は陣地に戻り、大国小隊と共に戦闘に参加したのであった。かくして、半田での戦いが始まったのである。
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