皆さんは北海道の北にある島「樺太」の南半分がどうして白く塗ってあるかごぞんじですか?
正解は、サンフランシスコ講和条約で日本が条約締結国に対し放棄した南樺太(以下、樺太)の帰属先が決まっていないからです。
大東亜戦争にて、最後の地上戦が行われたのは、どこだかご存知ですか?
沖縄を連想する人が多いと思いますが、正解は樺太です。
戦前、樺太には約40万人の日本人が生計を営んでいましたが、日ソ中立条約を無視してのソ連軍の侵攻により、多くの無辜の民が犠牲になりました。
ソ連軍が樺太での戦闘を停止した日はいつだかご存知ですか。
正解は8月25日。そうです、私達が終戦と考えている日から10日もたっているのです。
その間、ソ連軍は避難民と明らかに認識しながら、民間人に銃爆撃をあびせたり、疎開船を撃沈したり、婦女子に対し言葉では言い表せない行為を行ったのです。
でも、沖縄と違って、なぜか知られていません。
沖縄でも、多くの民間人が戦火に巻き込まれ、命をおとしたことや、子供たちを乗せた疎開船が米軍に撃沈された対馬丸事件などは、マスメディアで度々報じられますよね。
皆さん、どうして沖縄しか語られないのだと思いますか?
正解は…
樺太では、昭和20年5月に大本営から対ソ戦準備を命じられていませんでしたが、なぜか対米戦準備のままでした。
対ソ戦準備に転換命令が出た直後に日ソ開戦となったのです。
しかも国境地帯を守っていた歩兵第125連隊の奮戦で8月15日にはまだ、ソ連軍は国境から数キロ侵攻できていなかったのです。
そこから、ブログタイトルの疑問を持った私は大学院に入り、研究の末、完成させた修士論文をこのブログにのせます。
論文の後には、樺太における日ソ戦も掲載します。
皆さんのご意見、ご批判をお待ちしております。
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はじめまして。
こまちと申します。
お気に入り登録させていただきましたので、ご挨拶に伺いました。
今日久しぶりに閉鎖しておりました自分の古いブログ(「こんにちは」)を見てみました。そこに「樺太市民」さんの訪問履歴がありましたので、思わず訪問させていただきました。
私のブログには一言も樺太に触れていないのに、どうして訪問してくださったのか本当に不思議です…。
実は2か月ほど前、廃版になっていた金子俊男氏の「樺太一九四五年夏」をようやく手に入れることが出来ました。
樺太市民さんのブログ、少しずつ読み進めてみたいと思っております。
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樺太の話、興味深く拝読いたしました。
思えば、私の小学校の先生は樺太で生まれ育った人でしたし、北海道の前の知事も、樺太からの引揚者ですし、私の遠い親戚も樺太にいて引き上げてきた人です。
私も子どもの頃に浜にうちあげられた大量の大韓航空機撃墜事件の遺留品を見て以来、ロシアとは警戒しつつ、付き合わなければならないと感じています。
どうぞ、宜しくお願い致します。
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「樺太の激戦」拝読しました。
まずは、特集記事であることと目次に大きな文字でグッドであります。
わたしの感想を少しだけ。
とてもわかりやすく、読みやすかったです。もちろんその為の相当のご苦労もわかりましたが。また、おそらく樺太市民さんが意図的に残された主観の部分が感動的でした。
ご研究のダイジェストみたいな感じなので、端折るのにかなり苦労なさったのでは。
好きで、戦記もの(フィクションも含め)など読みますが、難しそうだなと思うのは、
時系列の整理と客観性を貫くことと思っています。
わたしが文章として好きな阿川弘之さんや、物語として好きなトム・クランシーは、
キーワードをうまく使って異なる場所での同一時点をあらわしているようです。
客観性という点では、論文であったり論述であったり公表の場であったり状況によって
主観との配分が難しくもあり、面白いところでしょうか。
今後も読者でありつづけます。
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