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おはようございます。
いつも「お久しぶりです」の樺太市民です。
東日本大震災の際、本当の友人がだれであるか、友人のふりをしているのは誰かが明らかにされたと思います。
アメリカや台湾をはじめとする多くの友人たちに感謝の気持ちを持ち続けていき、いつかこの恩返しをしなければと思います。 岩手によった際、友人から聞いたのですが、台湾の紅十字会方々は未だに被災地支援にきて下さったりしているそうです。 また、今朝のニュースではシンディー・ローパーが石巻の小学校に行って、子供たちを励ましてきてくれたそうですね。
本当にありがたいかぎりです。 しかし、あえて申し上げますが、どんなに多くの人たちが支援しても、最後は被災地の方々が現状に慣れずに頑張ってもらうしかないと思います。
... また、政府も生活保護を受けていた被災者が義捐金をもらったら、生活保護を打ち切るという政策がどのような結果を生んでいるか、真剣に考えて欲しいです。復興庁の方々は東京・赤坂のオフィスで仕事をするだけでなく、トイレの水まで凍る被災地の仮設住宅で生活をし、今、被災者がどんな生活をおくっているのか、自分の目と耳で確認してくる必要があると思います。 そうすれば、私がここにかけない深刻な現状がわかるはずです。 被災地の方々が心穏やかな生活をとりもどせるよう、出来る限りのことを、自分にとって無理のない範囲で長く続けていきたいと思います。 |
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宗谷丸
大泊港駅
皆さん こんばんは。 今更ですが、皆さんのお力をお貸しいただけないでしょうか。 今「樺太における対ソ戦」についての本を執筆中で、ソ連軍と戦った陸軍軍人、緊急疎開に携わった、海軍、民間船、鉄道、樺太庁、市町村官吏、緊急疎開で故郷を離れた方、無事北海道に脱出できた方、大泊、眞岡、本斗、稚内で緊急疎開者の支援や当時の様子を記憶されている方を探しております。 しかし、戦後67年もたっていることと、昨年3月の大震災による様々なストレスのせいか、この一年間でインタビュー可能な人が急激に減っているのを実感しております。
執筆中の本は単なる「戦史」に終わらせずに、日本国内で民間人を巻き込まれた日本人の記録を後世のために残したいと考えております。 また、犯人探しや、特定の人物を断罪する気もございません。 とは言え、今まで集めた史料から書くとなれば、「海軍」(海軍軍人ではありません)に対しては厳しい事を書くと思います。 もし、これを読んで、感じることがあるがたがいらっしゃれば、ご連絡いただけると助かります。(minamikarafuto@gmail.com) 確実に、「樺太における対ソ戦と緊急疎開」を知る方々にインタビューできるタイムリミットがせまっております。
お話を聞かせていただけるのなら、日本全国、どこへでもお伺いいたします。 どうぞ、ご協力いただきたく、伏してお願い申し上げます。 樺太市民 拝
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写真がぼけていてすみません。
インタビューで高知に言った際、食べました。
白身で癖がなく、さっぱりした味で、口の中に入れたらすぐとけるようでいて、最後にゼラチン質のような弾力性を感じる食感です。
これは何のから揚げでしょう?
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皆々様
こんばんは。
樺太市民です。
皆さんはこの三連休をいかがお過ごしですか?
私は、金曜日の晩、職場直行で高知に参りました。
勿論、飛行機なんて便利な乗り物は使いません。
夜行バスに乗ったのですが、残念ながらバスは高松間でしか取れず、そこから電車、車を乗り継いで行きました。
そしてある方にお会いしてびっくり!
高知県って、以外なことに樺太へ移住した人、そして引き上げてきた人が多いんですね。
また、樺太からの引揚者の団体が活発に活動なさっているとか。
何でも、土佐出身の明治期の軍人で、薩賊の首魁、西郷隆盛がその信者とともに起こした西南戦争の際、熊本城を守りぬいた谷干城の縁で、土佐出身の人々が多く移住したそうです。
谷干城といえば、千島樺太交換条約に最後まで反対し、樺太を手放すことに抵抗をした方ですよね。
そこで、欲張って、終戦時、北東方面にいた海軍軍人、樺太での警察官、鉄道関係者、官吏として国境戦や緊急疎開に従事した方、緊急疎開で北海道に脱出できた方、大泊まで来れた方の消息も調べたのですが、やはり、見つかりません。
せめて、10年早ければ、ご存命だった方は何人もみつけたのですが…
ただ、蜘蛛の糸のような手がかりはつかめました。
「天佑神助」を信じ総当たり戦で探してみるしかありません。
なんとか見つけ出して、お話を伺い、その体験を後世のために記録に残したいものです。
PS:何べん食べても、讃岐のうどんはあきませんね!
実に美味です!
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