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来年3月のダイヤ改正で寝台特急「あけぼの」の定期運行が廃止になる。
写真のあの日から約50年を経て、北海道直通の北斗星を除いて東北方面への青い寝台特急は消えることになる。
この日は、実は東海道新幹線開業の日の前日。
有楽町駅で最後の151系ビジネス特急こだま・つばめを撮っているときに、ならし運転の品川客車区からの送り込みで北上する20系「はくつる」。
けん引機はEF58だったのかEF60だったのか、また上野駅のホームは地上ホームだったのか高架だったのか…全く覚えていない。
しかし思えば、東北方面への寝台特急はこの翌日が初めての運転だった。
それまで寝台特急は東海道、九州方面だけで、はじめて特急寝台が北へも向かうことになった。
カニ21、オロネ21、ナシ20、オハネ20などと座席車2両を連結する20系11両の寝台特急は、まさに東北に寝台特急時代の幕開けを感じるのに十分であった。
(1964年9月30日)
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こんばんは。
これはおそらく、青森駅を翌日発車する上り「はくつる」初列車に使用する編成の送り込み回送に相違ないと思います。牽引機は東京機関区のEF58にまず間違いないでしょう。
偶然にもこのような列車が撮れて本当によかったですね。
2013/12/30(月) 午後 9:30 [ ゴハチ信者 ]
こんばんは、鉄道ジャーナル列車追跡シリーズ1にはくつるの追跡が掲載されています。牽引機は58ですね。高架の6番ホームから出ていました。昔この記事を何度も読み返し、ハドソン重連に憧れました。
2013/12/30(月) 午後 10:01
ゴハチ信者さま、
なるほど。ダイヤ改正の前日ですから、おそらくそうだったのでしょうね。
このころは尾久、田端ではなかったのですね。
2013/12/30(月) 午後 10:36 [ 日本一周 ]
C6118さま、
やっぱり58でしたか…。
品川、東京の担当でしたので、上野のホームは高架だったのですね。
一旦尾久へ入れて推進で地上ホームで、かとも思われてよくわかりませんでした。
登場時、東北線回りだったのですよね。このころは黒磯からED71かなんか、仙台からC61の重連だったのでしょうか。
2013/12/30(月) 午後 10:43 [ 日本一周 ]
再びこんばんはw 黒磯からの交流区間は当初ED71ですがジャーナルでは75(福島区)になっています。仙台からはC61単機、盛岡から十三本木越えの為盛岡区のC60が前補機に付き着きました。
2013/12/30(月) 午後 11:09
私の第一次鉄道ブームの頃には、既に20系は急行・銀河程度しか残っておらず、
特急は24系25形が主流でしたが、子供ながらに外観はやっぱり、
20系の方が美しいと思っていました。
この曲面を多用した、手の込んだ車体、今後の新型では、
新幹線以外見ることはできないでしょうね。
2013/12/30(月) 午後 11:55 [ Kitaro ]
C6118さま、
ご教示ありがとうございます。
当時、東北方面はあまりご縁がなかったのであまり覚えていなくて、勉強になりました。
C60+C61の十三本木越えの重連、見てみたかったです。貨物もすごかったと写真で知っています。でも当時の学生にはあそこまでは遠かった…。
2013/12/31(火) 午前 10:56 [ 日本一周 ]
あつdesuさま、
そうですね。20系と24系では、優美さ、高級さの点からすると特急と快速くらいの差を感じました。
でもこの最後部のおでこは何となく好きになれなかったですが…。
2013/12/31(火) 午前 11:00 [ 日本一周 ]
こんにちは。トラックバック、ありがとうございました。1番列車の切符が手に入っただけでなく、その実際の姿を目にすることができるとは、望外の喜びです。たいへん貴重な写真を拝見できて感激しております。
当方からも折り返しのトラックバックをお許し下さい。
2015/7/31(金) 午後 5:42
まつしまさま、
上野以北でなくて申し訳なかったですが、50年以上前のお乗りになったその日の列車を撮っていたのは何かの縁ですよね。
1号車ですと電源車の前のナロネに乗られたわけですね。
2015/7/31(金) 午後 6:04 [ 日本一周 ]
日本一周さま:いえ、私が乗ったのではなく、40年以上も探していた【1番列車の1号車】の指定券が見つかった!という話でして…。
私は当時満6歳で幼稚園の年長組、まだ小学校にも上がっておりませんでしたので、一人で1等寝台に乗るなど不可能でした。
2015/7/31(金) 午後 9:23
まつしまさま、
そうだったのですか。一人合点で失礼しました。
2015/8/2(日) 午前 6:50 [ 日本一周 ]