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DD51形ディーゼル機関車は、かなりの長い間四国を除く全国各地の非電化区間などで大活躍したが、現在淘汰が進み貴重になりつつある。
本線用の機関車だが、運転席が中央部にある凸型の特徴あるスタイルで、北海道への北斗星などの寝台特急は特に人気が高かった。
1枚目: 真夏の長野駅にてD51との重連で旅客列車(?)を牽く初期のDD51 12号機。
(1965年8月1日)
2枚目: 東北本線一ノ関駅で下りの夜行客車急行を牽くDD51。
一ノ関区のターンテーブルとともに。
(1965年8月7日)
3枚目: 長野機関区のターンテーブルでDD51 33号機。
点検中なのだろうか。片側のエンジンルームの扉は全開だ。
扇形庫の長い排煙用の煙突がおもしろい。
(1966年10月1日)
4枚目: 篠ノ井線のスイッチバックの桑ノ原信号所を旅客列車を牽いて、全力で駆け上がるDD51 34号機(?)。
(1966年10月3日)
5枚目: 関西本線四日市−富田浜間でセメントタンカーを牽くDD51 1802号機。
(2014年3月31日)
6枚目: 美祢線で岡見貨物を牽くDD51 756号機。
ちょっと左詰まりになってしまった。
この列車も今はない…。(2010年4月5日)
7枚目: 寝台特急カシオペアを牽くDD51の重連。
室蘭本線洞爺−有珠間の通称宇宙軒カーブにて。
(2015年1月19日)
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スピードは出ないかもしれませんが、パワフルな走りはとても頼もしく、旅の安全を保障してくれる存在だと思います。
2015/10/6(火) 午前 8:34
またお邪魔します。
初期の機体はスカート周りがすっきりしていますね。
もう国鉄式のDLは液体式変速機の外枠を鋳造できる金型が残ってないそうで、道内は電気式のDFになってしまいました。。
そちらはまだ残っているんですもんね。
2015/10/6(火) 午前 11:33 [ よっちゃん ]
フリードッグさま、
登場直後は本線用機関車が凸型なんて…と思っていたのですが、すっかり板につきましたね。
登場したばかりのころ、信越本線の長野ー直江津間の急行白山にも採用されて、たまたま乗った下り白山が豊野−牟礼間の急こう配でダウン。長野から救援用のD51が駆けつけて、豊野までバックで戻ったことを経験したことがありました。
2015/10/7(水) 午前 10:28 [ 日本一周 ]
よっちゃんさま、
そうですね。重連総括制御用のジャンパーなど何もなかったので、実にすっきりしていますね。
石北貨物に続いてカシオペアも廃止になると北海道からDD51も消えるのでしょうね。重連の1編成は苗穂か手宮に絶対残すべきでしょうね。
2015/10/7(水) 午前 10:35 [ 日本一周 ]
2桁の製番のDD51は、私も一度も見たことが無いですよ。 昔、当地の辺りにも早岐や鳥栖の所属車両の中にいたようですけどね。
今は九州にはいないですが、間違いなく国鉄時代の本線用DLの花形機関車でしたね。
2015/10/7(水) 午後 10:05
篠ノ井線の非電化時代は全く存じ上げないのですが、
姨捨の急勾配も単独での牽引で越えていたのですか?
2015/10/7(水) 午後 10:59 [ Kitaro ]
Noriさま、
1枚目の写真は、真夏の信州の蒸機列車の無煙化のためにやってきたばかりのDD51で、まだ単独で牽かせるには信頼性がなかったのでディ蒸運転をしていた時のものです。
あれから半世紀…。よく頑張った機関車ですよね。
2015/10/8(木) 午前 8:58 [ 日本一周 ]
あつdesuさま、
このころはDD51の重連使用は総括制御ができなかったので、ほとんどなかったと記憶しています。
篠ノ井線の客車列車を単機で牽けるようになったのは信頼性が上がってからでした。
2015/10/8(木) 午前 9:06 [ 日本一周 ]
こんばんは。
土崎工場で(おそらく組み立て中)の1号機の様子をトラックバックさせて下さい。(って、もうやっちゃいましたが…)
2015/10/29(木) 午後 6:03
まつしまさま、
たくさんのコメントとたくさんの貴重なお写真のトラバありがとうございます。
ブログ機関車図鑑がすばらしく充実したものになったことを感謝いたします。
これからもよろしくお願いいたします。
2015/10/29(木) 午後 8:30 [ 日本一周 ]