現在の 薬師岳山頂 石祠。
右側の木柱は 元の供養柱、撮影時期 ネガ見つけ出して確認すればいいのだが、おそらく 石祠が出来た年か。
供養柱、撮影は 1983(昭和58)年8月5日
正面は 「奉祭霊峰薬師如来」、
右側面(北面)「五穀豊穣氏子安全祈願」
積達大概録(享保年間1716〜1736成立)の玉井組原瀬村に『大畠之薬師堂、山伏勢教院持也(p867、市史6巻)』、とあるので それ以前に 下に薬師堂はありました。春先に山頂へ移し 晩秋に下ろした、そうしたことが出来なくなったので 下ろしたままにした、それが 明治の初期 と言うことなのかも知れません、あくまで未確認です。別の大概録には「四月八日」の記載があります、石祠の裏の日付。
薬師岳は 江戸時代の地図にも描かれています、場所は現在の処と考えて矛盾はありません。(二本松封内図、二本松市教委発行相生集付録)。
『大同年中徳一法師あり(中略)奥州行脚し安達太郎山に登る、登りし時赫赫として高く空中に相現れその光を尋ねて之を見るに薬師尊像岩上に在り(小文字)其所云薬師峰(安達太良縁起)相応寺所蔵、大玉村史・上』とあります。 現在も 原瀬大畑に 薬師堂があります。立像の薬師如来様が祀られています。
2018-09-10
(終)
|
全体表示
[ リスト ]