日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全12ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

イメージ 1
 岳温泉の岳温泉文化協会(鈴木孝雄会長)は12月24四日(月)早朝、「かぎろひを観る会in岳温泉」を開催した。「かぎろひ」とは「日の出前に東の空にさしそめる光(広辞苑)」で、万葉集には柿本人麿の「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」の有名な歌があり、歌が詠まれた旧暦11月17日に「
観る会」を開催している。当日は 午前5時半に東雲堂医院駐車場集合、東側も安達太良山もよく見える、岳温泉横森の展望地に向かった。頭上は晴れていたものの 安達太良山は雲に隠れ、東側は阿武隈山地頂上すれすれから空半ば程迄黒い雲に隠されて、状況は良くない。それでも天頂に架かる北斗七星や南西から飛来した極めて明るい国際宇宙ステーションなどには歓声が上がった。その後も状況は変わらず、周りが十分明るくなって来て、「かぎろい」確認出来ない様子となったため解散した。会員6名が参加した。

イメージ 2
 岳温泉横森の展望地から 阿武隈山地を見る。
正面奥が 左羽山、右日山。下の灯りは 二本松市街地。「かぎろい」は おそらく  山の上の雲の向こう側に見えるはず。

 かぎろい に、ついては 斎藤国治著・古天文学の散歩道、恒星社刊 の『第2章、柿本人麿が見た「かぎろひ」、 が詳しい。

イメージ 3

(終)

開く コメント(0)

イメージ 1
 現在の 薬師岳山頂 石祠。
右側の木柱は 元の供養柱、撮影時期 ネガ見つけ出して確認すればいいのだが、おそらく 石祠が出来た年か。

イメージ 2
 石祠背面。

イメージ 3
 供養柱、撮影は 1983(昭和58)年8月5日
正面は 「奉祭霊峰薬師如来」、
右側面(北面)「五穀豊穣氏子安全祈願」

イメージ 4
 左側面(南面)には「大畑薬師堂遷宮百九年奉拝記念氏子(以下読めない)」、1983年から 単純に109年前とすると 1874(明治7)年。
その年に ここに祀られていたお堂を 下、大畑に 移したと言う事か。

 積達大概録(享保年間1716〜1736成立)の玉井組原瀬村に『大畠之薬師堂、山伏勢教院持也(p867、市史6巻)』、とあるので それ以前に 下に薬師堂はありました。春先に山頂へ移し 晩秋に下ろした、そうしたことが出来なくなったので 下ろしたままにした、それが 明治の初期 と言うことなのかも知れません、あくまで未確認です。別の大概録には「四月八日」の記載があります、石祠の裏の日付。

 薬師岳は 江戸時代の地図にも描かれています、場所は現在の処と考えて矛盾はありません。(二本松封内図、二本松市教委発行相生集付録)。
『大同年中徳一法師あり(中略)奥州行脚し安達太郎山に登る、登りし時赫赫として高く空中に相現れその光を尋ねて之を見るに薬師尊像岩上に在り(小文字)其所云薬師峰(安達太良縁起)相応寺所蔵、大玉村史・上』とあります。 
 現在も 原瀬大畑に 薬師堂があります。立像の薬師如来様が祀られています。
2018-09-10
(終)
 

開く コメント(0)

 安達太良三所明神という言い方があったと思う、
手元の資料捜しても どこに書いてあったか 見あたらないのですが。

安達太良縁起 p415 大玉村史(上)から
  安達太郎山 これを主山と称し、
  劔山明神 安達二郎の廟なり 又云炎明神
  船明神は二本松三郎の廟と号すなり、
  
  主山は 甑明神とも
  相応寺伝(p417大玉村史(上))にも 同様の記載在り。

 甑明神と 劍山明辰痢‐貊蠅砲弔い討楼焚爾凌泙あります。
イメージ 1
 コシキ、ケン山 少し離れて黒金山(これは鉄山)。
ケン山は 現在 矢筈が森 と呼ばれている。
 嶽山崩れ の 関係絵図なので 湯元などの記載もある。
 文政八酉年四月嶽湯御再興ニ付湯樋筋見分絵図(今泉文書・郡山市歴史資料館蔵)。
 舟明神は この角度では 見る事が出来ない。

 三所明辰痢ゝ載文書 見つかったら 追記します。

(追記2018-10-02)
イメージ 2
 三所明神の場所です。
ピラミッド・ヒークの場所も。

(終)


開く コメント(0)

イメージ 1
 1955(昭和30)年4月28日の福島中央新報紙面。2018年を64回とするとこの年が第1回。実は前年にも山開きの記事はある(確認してくる予定)。

 来月29日安達太良山開き
  火伏祈願に ボンデン奉納
  例年と趣替え盛大に

 既報、五月廿九日に挙行される国立公園安達太良山開きの打合せ会は廿七日午後二時から二本松町役場会議室で開き、今年は国立公園指定五年と「八重しやくなげ」の天然記念物指定を祝い例年と多少趣向を変えて消防団団員の火伏せ祈願大ボンデン奉納などで山開きに一そうの興をそえることに決めた。
 五月廿九日の山開き挙行期日では吾妻山開きも同日決行されるので安達太良は多少期日をずらしてはとの意見も出たが地元岳温泉側の強い要望で廿九日と決定、早速県広報車などてキャラバン隊を組織し茨城、栃木、宮城県方面に大々的に誘客宣伝、また学校、会社、事業場などには山開きの宣伝チラシを配布、県内映画館にもスライドを送つてハイカーを誘うことに決め、一方国鉄でも「安達太良湯川けい谷探勝券車券(乗車券か)」を発売して東京−二本松駅間の一割引サービスを計画している。
 また二本松街はずれから木の根坂登山口間の道路整備を行い、福島電鉄でも当日以外にも二本松車庫朝六時四十分発木の根坂行き臨時バスを毎日曜日毎に仕立てることを考慮、受入れ側の岳温泉では例年行つたハイカーの宿泊クーポン券は今年は取止めて宿泊は自由とし収用に万全をきす、またさきに安達村上川崎和紙協同組合から安達神社へ奉納申入れがありいま県庁正庁室に置かれてある大ボンデンは山開き前日に岳温泉神社まで運び、当日地元消防団により火伏祈願して頂上に鎮座する安達太良神社に奉納することなどを決めたが、さらに具体的なことは山開き主体の岳温泉に一任することになった。
 
 吾妻も廿九日

国立公園吾妻山開きは五月廿九日に挙行されるが福島観光協会では廿六日打合せ会を開き、 山開き前日の廿八日に福島市公会堂で前夜祭を開き、映画と県教委社教課梅宮主事の「山」の講演を行うことに決めた。

 道標の完備陳情
 
二本松・岳観光協会では国立公園指定五周年記年事業として安達太良登山観光道路指導標の完備方を県へ近く陳情することになつた。


 例年と趣向かえて とあるので、以前の記事、確認してこよう。福島中央新報紙面は 全部 二本松図書館で閲覧できる。

イメージ 2
 安達太良山開きの 広告は 福島中央新報紙面では これが最初のようだ。
但し 翌年 いわば第2回の時の物、安達太良連盟 となっている。

続報の予定です。

(終)

開く コメント(0)

西山のこおり

p156 続・ふるさとの伝え語り、昭和52年3月1日発行・二本松市教委編集発行

 明治・大正の頃は、盛夏の候ともなると、菅笠をかぶり、農婦が作業衣をきりりと着て、わらじに脚絆ばきで、氷の入った箱を飛脚のように肩にして、
 「こおり こおり!」
との呼び声で、街中を、岳山の氷と称して売り歩く姿が見られた。
氷室に保存された岳山の氷であったろうが、この氷は現今の氷とは異質なもので、凍雪ともいうべきものであったらしいが、大正の頃には普通の氷を「西山の氷」といって 売り歩いたものだという。

 今の霞ケ城公園内(洗心池の南側)にも、洗心池に張った氷を保存する氷室があった。
 
  大正の末年には人造氷の製造販売が盛んになり、昔のままの氷売りの農婦の姿は、二本松からは消えたが、万年雪を持っている酒田市等には、昭和十年頃でも、こうした炎天下の風物詩が残っていたという。
 
 相生集には(中略)。
 
 古書には、六月一日が、将軍家への氷献上(二本松藩ではない)の日であると書いてあるから、二本松でも、西山の氷は六月一日から売りに歩いたものだろうと古老は語っていた。

(ふるさとの伝え語りの項 終)

福島中央新報掲載記事
イメージ 1

イメージ 2

(終)

開く コメント(0)

全12ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事