歴史問はず語り

日本史と世界史にまつわる不思議について語る倉西裕子のブログ

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「伴大納言絵巻」という平安時代末期に後白河法皇の院御所、法住寺殿で制作された傑作絵巻があります。

 貞観八年(八六六)閏三月十日に大内裏の朝堂院の正門、応天門が失火によって焼失してしまいます。事件をめぐって、当初は左大臣の源信(みなもとのまこと)が放火犯として疑われるものの、八月になって、時の大納言、伴善男(とものよしお)、すなわち伴大納言(ばんだいなごん)が、真犯人として捕縛されることになります。

 「応天門の変」として有名な、この一大疑獄事件の経緯を描いたのが、「伴大納言絵巻」なのです。

 事件からおよそ三〇〇年を経て、「伴大納言絵巻」が制作されたわけですが、後白河法皇自身がプロデューサーとなって絵巻の制作に深く関わっていたということもあって、この絵巻は、実に謎に満ちています。

 謎の一つは、清涼殿の東庭に、独りたたずむ衣冠束帯姿の後ろ姿の人物です。この人物は、研究史上においては、伴大納言のことではないか、と考えられてきました。

 わたくしは、伴大納言絵巻を古代史の視点から研究した結果、伴大納言説に疑問を抱くようになりました。このたび、拙い研究成果ではありますが、『古代史から説く 伴大納言絵巻の謎』(勉誠出版 二〇〇九年)を上梓いたしました。

 伴善男は、古代の名族、大伴氏の出自です。平安史のみならず、古代史の視点から応天門の変、そして「伴大納言絵巻」を眺めてみると、そこには、これまで誰も気付くことのなかった事件の一側面が見えてくるのです。

閉じる コメント(2)

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こんにちは。

はじめてコメントいたします、絵巻物には興味があります、でも、たまに図書館で見たりする程度ですが。

中でも好きなのが「信貴山縁起絵巻」とこの「判大納言絵巻」でした。

ただ、なんで謎なのかもよく分かりませんので、検索してみたらこちらにつきました。
衣冠束帯姿の人物はもう一場面でも登場していたんではなかったでしょうか。

2009/8/17(月) 午前 10:53 ビナヤカ 返信する

ビヤナカさん
こちらこそはじめまして。衣冠束帯姿の人物は、左大臣源信が、天道に祈って、自らの無実を訴えているシーンにでてきます。拙著『古代史から解く 伴大納言絵巻の謎』では、このもう一か所の衣冠束帯姿の人物などをヒントに、清涼殿の東庭にたたずむ後ろ姿の人物について推理してみました。このほかにも、伴大納言絵巻からは、当時の政治問題や外交問題などなど、さまざまなことが、わかってきます。伴大納言絵巻にご興味がございましたなら、ぜひ、拙著『古代史から解く 伴大納言絵巻の謎』をご一読いただければ、さいわいです。

2009/8/17(月) 午後 6:06 [ 倉西裕子 ] 返信する

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