歴史問はず語り

日本史と世界史にまつわる不思議について語る倉西裕子のブログ

世界史

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 今年も、歴史に関する記事は、下記アドレスの倉西雅子の政治ブログ『時事随想抄』にて、時々書いてまいりますので、ぜひ、『時事随想抄』をご覧になってください。現在のテーマは、日本書紀紀年法のプラス・マイナス120年構想です。

 『時事随想抄』http://blogs.yahoo.co.jp/gakumonnoiratume

新年のご挨拶

 あけまして、おめでとうございます。
 
 本年も、本ブログにて、日本史、世界史について、これまで見落とされてきた事実や視点から、ありえそうな仮説(奇想天外な説?)を提起させていただきたいと考えております。本年も、本ブログ「歴史問わずがたり」、そして、わたくしと妹の倉西雅子の共同サイト「倉西先生のご学問所」をよろしくお願い申し上げます。
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 古代都市国家トロイの滅亡には、ホメロスの『イリアッド』によってもよく知られているように、「トロイの木馬」が登場してきます。この木馬は、ギリシャ側が、トロイへの贈り物として建造した巨大な木製の馬像とされています(その中に、ギリシャ兵が潜伏していた)。しかしながら、私は、常々、トロイ側がこのような巨大な木馬を単なる贈り物と信じて、トロイ城内に引き入れたという点について、疑問をいだいてきました。
 
 その理由は、木馬は、貴金属でできたものではなく、どうみても、トロイ側からは、貴重な贈り物どころか、無用の長物にしか見えなかったのではないか、と考えたからです(唯一、トロイの王女、カッサンドラだけが、木馬を城内に引き入れることに反対した)。もっとも、ギリシャ側の立場から見ても、成功しそうな作戦とも、思えません。
 
 そこで、以前、木材がトロイでは不足しており、木馬は、木材の贈り物として認識されたからではなかったか、という仮説を立ててみました(私及び私の妹のインターネットサイト『倉西先生のご学問所』の「歴史発見物コラム」をご参照ください)。しかし昨日(9月18日)、BBC地球伝説の「古代文明のルーツを求めて」を視聴し、フェニキア人は、船首に馬の像を取りつけていたということがわかり、もう一つの仮説を考えてみました。それは、「トロイの木馬」とは、フェニキア製の船ではなかったのか、というものです。フェニキアの船は、古代世界において、唯一、遠洋航海のできる船底を持った大型船でした。すなわち、長距離・大量輸送の可能な最新鋭の最高級品だったのです。もし、「トロイの木馬」が、馬の像を船首に取り付けたフェニキアの船であったのならば、贈り物として認識されるには十分であり、トロイ側がよろこんだことは、想像に難くありません。「トロイの木馬」が、フェニキア製の大型船であったと想定してみると、トロイ滅亡伝説は、辻褄が合う気がするのですが、いかがでしょうか。
 先日、『ピラミッド 5000年の嘘』というフランスのドキュメンタリー映画のDVDを観賞してみました。フランス語のタイトルの原文をそのままに直訳した『ピラミッドの黙示録』、もしくは『ピラミッドの啓示』としたほうが相応しい内容で、ギザのピラミッドは、なぜ今日に至っても解かれざる謎があるのかを明快に説明することからはじまり、結論は、世界各地に遺る古代の巨大石造物は、未来の人類へ、警鐘とも言える預言を遺すために建てられていた、とするたいへん興味深いものでした(多少、‘まゆつば’の部分もありましたが・・・)。
 
さて、映画のなかで、私が、もっとも興味惹かれたのは、ギザのピラミッド(いわゆる‘クフ王の墓’)、インカのピラミッド、イースター島のモアイ像をめぐる以下の4点です。
 
1.巨大な石材を長距離運搬する技術と、まったく隙間なく巨石を積んでゆく技術という同じ技術によって建造されている。
2.これらの3つの遺跡をつなぐと、一直線上にならぶ。
3.春分、夏至、秋分、冬至のいずれかを人々に示す役割を果たしている。
4.一時期にたいへん完成度の高いものを造りながら、その後、技術的に劣化してゆくか、途絶えてゆく。
 
3つの遺跡をめぐるこれらの4点は、偶然なのでしょうか。これらの共通点や遺跡の特徴から導かれてくる仮説は、「巨大石造物をつくったのは、高度な石工技術を独占していた一つの技術者集団であって、その集団が移住した先においては巨大石造物が造られたものの、その技術独占がきわめて徹底していたがために、この集団が去った後には、誰もその造り方を知らなかった」というものです。すなわち、その謎の技術者集団は、エジプト、インカ、そして、イースター島を転々としたというわけです。
 
 では、その技術者集団とは、誰であったのでしょうか。『聖書』には、ソロモンの大神殿は、ヒラムというフェニキア人によって建てられたとあります。フェニキア人は、航海技術に長けていましたので、大西洋や太平洋を渡ることはできたはずです。私は、フェニキア系の技術者集団こそが、世界中の巨大建造物をつくった人々ではなかったか、と考えています。もちろんストーンヘンジもその一つでしょう。
 
彼らの最終地点は、イースター島であったのでしょうか。それとも何処であったのでしょうか。偶然にか、イースター島は、復活祭の日(イースター)に発見されています。このことから、イースター島と名付けられたのです。しかるに、フェニキア人は、フェニックス、すなわち火のなかから復活するという不死鳥の語源ともなった人々です。また、『聖書』の「黙示録」は、最後の審判の日に、よき人々は復活するというものであり、フェニキア人の死生観を反映しているとも言えます。あるいは、インカにおいて、一大事件が起こり、フェニキア人たちは、太平洋へと漕ぎだし、イースター島で、再起を図ったのかもしれません。
 
現在の島民には、この技術は伝わっていないことから、どうやら、フェニキア人たちは、イースター島をも離れて、さらなる目的地へと向かったようです。復活した人々、フェニキア人は、最後にどこに辿りついたのでしょうか。荒唐無稽の説のようではありますが、人類の歴史には、まだまだ多くの謎が遺されているようです。
ブルガリアの黒海沿岸の島から発見された小さな大理石の箱に入れられてあった人骨について、洗礼者ヨハネのものではないかというニュースが、2012年6月20日に、ナショナル・ジオグラフィック・ニュースから配信されました。この洗礼者ヨハネ説は、この島の名がスベティ・イバン島(聖ヨハネ島)という名を持つ点と、コラーゲンのDNA鑑定と放射性炭素測定から、紀元1世紀に中東で生きた人物の骨であることが判明した点に依っています。洗礼者ヨハネ説は、賛否両論をまきおこしているようですが、わたくしは、偽物ではないかと推論しています。その理由は、羊、牛、馬といった動物の骨も一緒に箱のなかに入っていたからです。洗礼者ヨハネは、その生前から人々の崇敬を集めていた人物ですので(同時代の人物であるフラビィウス・ヨセフスも、当時から洗礼者ヨハネは人々から崇敬されていたと書き記しています)、もし本物の洗礼者ヨハネの骨であり、それを聖遺物といて箱に納めたのならば、動物の骨と混ぜるといったぞんざいで、不敬な扱いをしたとは考えられないからです。古代・中世ヨーロッパには、多くの偽聖遺物が出回りました。ブルガリアの信心深い修道院は、「洗礼者ヨハネの骨」という偽聖遺物を購入してしまったのかもしれません。
 

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