日本史跡研究会 日々の徒然(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介できたらと思います。研究会イベントも年数回開催しますので、コメントいただけたら幸いです。

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 さて、前回は「雲光院」探索途中で記事を終えましたね 雲光院には吉原創始者である「庄司甚右衛門墓」があることまでご紹介いたしました。

 では、本題に入ります 雲光院にある著名人の墓、それを見学するために訪れたんですから


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  阿茶局の墓・石造宝篋印塔(江東区三好2−17−14)

 阿茶局は弘治元年(1555)、武田家臣・飯田氏の子として生まれ、今川家臣・神尾忠重の妻となったが、忠重の死後、徳川家康の側室となった。

 慶長19年(1614)、大坂冬の陣の際には和睦の使者を務めるなどなかなかの才女であり、家康の寵愛も深かったようである。

 元和6年(1620)、徳川秀忠の五女・和子入内に際しては、母代として在京し、元和9年(1623)、従一位に叙せられています。(ちなみに従一位……征夷大将軍と同格であり、破格の待遇であることは言うに及ばない

 寛永14年(1637)、83歳で没しています。

 宝篋印塔は総高363.1㎝で石質は安山岩。塔身正面には「雲光院伝従一位尼公」、左右側面には阿弥陀三尊の種子が刻まれています。上基礎正面には「正誉周栄大姉 寛永十四年 正月廿日」と刻銘がある。


 阿茶局……女性ながら戦国を良く生き抜き、歴史にその名を残した人物でありながら、さほど知名度は高くない

 今回の散策でもその名を知らない人も居ましたですが、こうして史跡を訪れることで知識が身に付くこともあるんじゃないでしょうか 本を読んで知る知識ってのもありですが……自らの足で探し当てたことによる知識は体験として語ることの出来る知識となる これが、研究会の意義でもあります


 さて、阿茶局墓を見学し終えた一行は、今回の研修のメインイベントである『大関ヶ原展』を見学すべく、江戸東京博物館へ。

 いやぁ人・ヒト・ひと大盛況 ということで特別展見学は各々で 各自見たいものは異なるんですから……

 関ヶ原合戦屏風や古文書・甲冑などなど見どころ満載の特別展本物を見て感じることは多かったんではないでしょうか?

 見学二時間という時間設定をし、ゆっくりと見学いたしましたよ

 見学を終え、一服した一行は、次なる目的地へと移動です 両国橋を渡りまして、


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  両国広小路記念碑(中央区東日本橋2−26)

 明暦3年(1657)、明暦の大火の教訓を踏まえ、両国橋のたもとに火除地として設けられた。

 上野広小路・浅草広小路と並び『江戸三大広小路』の一つに数えられ、盛り場として賑わった場所です。


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  柳橋(中央区東日本橋2丁目〜台東区柳橋1丁目)

 『江戸名所図会』には、「柳原堤の末にある故に名とする」とある。現在の橋は昭和4年(1929)、隅田川に架かる永代橋をモデルに建設されました。


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  初音森神社(中央区東日本橋2−27−9)

 元弘2年(1332)、藤原大納言師賢により創建されたと伝わるが定かではない。

 文明3年(1471)、太田道灌の寄進によって社殿が建立されたという。

 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの際、徳川家康は初音の馬場で馬揃えを行い、木村常陸介を神社に遣わし戦勝祈願を行い、さらに愛馬・三ヶ月号に神井の水を飲ませ出発したことが伝わっています。

 明暦3年(1657)、明暦の大火の後、関東郡代屋敷建設のために公儀御用地となり、万治2年(1659)、墨田区千歳町に替地を拝領し遷座したが、昭和25年(1950)、現在地に遷座しています。


 当初の予定にはなかった史跡も発見したのですが……本来目指すべき史跡は???うろうろしながら探索は続きました

                                                         その5 へつづく





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