日本史跡研究会 日々の徒然(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介できたらと思います。研究会イベントも年数回開催しますので、コメントいただけたら幸いです。

全体表示

[ リスト ]


    【猿橋】      国指定名勝

  所在地: 大月市猿橋町猿橋


イメージ 1


 日本三奇矯の一つとして知られ、木造では唯一現存する刎橋です。長さ30.9m、幅3.3m、水面からの高さ31m。

 架橋の時期については定かではないが、推古朝の頃(600頃)、志羅呼という渡来人が猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造ったという伝説が残る。

 文明19年(1486)、聖護院の門跡道興がこの地を通った折、詩文を残し、過去の架け替えや伝説にも触れています。古くは吊り橋であったとする推察もあり、刎橋となった時期は明らかではない。

 応永33年(1426)、甲斐国人・武田信長と鎌倉公方足利持氏配下・一色持家がこの地で交戦一色が勝利を収め、武田信長は鎌倉へ捕虜として連れ去られています。(「猿橋の戦い」と呼ばれます)

 永正17年(1520)3月、郡内領主・小山田越中守信有によって猿橋に架橋したことが『勝山記』に記され、小山田氏の都留郡北部支配が及んだ証拠とされています。

 大永4年(1524)、武田信虎と関東管領・上杉憲房もこの地で戦い、信虎が勝利を収め甲斐にその名を知らしめています。

 江戸時代に入ると、五街道の制度が確立したことから、甲州街道の要衝であった猿橋は御普請工事で九回の架け替えと、十数回に及ぶ修理が行われています。

 橋の架け替えの記録は、延宝4年(1676)以降は残されており、宝暦6年(1756)からは現在の猿橋と類似した形式の刎橋です。

 イメージ 2


 昭和9年(1934)、上流に新猿橋が造られたことによって猿橋の渡橋としての役割は終わる。

 昭和59年(1984)、H鋼に木の板を取り付け、岸の基盤をコンクリートで固めた橋に架け替えられたのが、現在の猿橋である。部材を木から鋼に変えて嘉永4年(1851)の猿橋を復元したものですが……「猿橋」の史跡としての価値は変わらないものだと思います

 古戦場としての価値もありますし、訪れて損はないと思いますよ


  〔参考資料〕
    静岡・伊豆・山梨さわやか散歩             山と渓谷社
 

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事