日本史跡研究会 日々の徒然(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介できたらと思います。研究会イベントも年数回開催しますので、コメントいただけたら幸いです。

全体表示

[ リスト ]


   【阿茶局墓】

  所在地:東京都江東区三好2−7−14  雲光院境内


イメージ 1


 徳川家康の側室・阿茶局の墓(石造宝篋印塔)は、江東区三好(2)の浄土宗・龍徳山 雲光院境内にあります。

 雲光院は、慶長16年(1611)、阿茶局の発願で神田馬喰町に菩提寺として創建。明暦3年(1637)、明暦の大火によって焼失してしまい、岩井町を経て、天和2年(1682)、現在地に移転しています。

 阿茶局は「於須和の方」とも呼ばれる人物。弘治元年(1555)、武田家臣・飯田直政の娘として生まれる。はじめ、甲斐石和春日神社社人であったと伝わる神尾孫左衛門忠重(一条右衛門大夫信龍家臣とも今川家臣とも云われる)に嫁ぐが、天正5年(1577)、夫は戦死してしまう。

 その後、天正7年(1579)5月、25歳で徳川家康の側室となっています。阿茶局は利発な人であったようで、各地の陣中にたびたび同行。天正12年(1584)、小牧・長久手の戦いの際には陣中で流産したほどである。
また、慶長18年(1613)頃から隠密御用を務めたり、方広寺鐘銘事件の陳謝のため大坂から駿府を訪れた豊臣秀頼の使者を応接、慶長14年(1614)、大坂冬の陣では本多正純とともに和睦交渉の使者となり、板倉重昌とは淀殿から誓詞を受け取ってもいます。

 阿茶局は、家康の大のお気に入りの側室であるとともに、信用されていたので、家康の遺言で剃髪して尼になることを許されなかったほどの才知があった。

 家康死後は、賄料300石を与えられ、江戸城竹橋門内の屋敷に住んだ。元和6年(1620)、徳川秀忠の五女・和子が後水尾天皇の中宮として入内する際には、母親代わりとして終始付き添い、従一位に叙任され、神尾一位殿と通称された。

 寛永9年(1632)、徳川家光の上洛にも供奉。その後、落飾して「雲光院」と称し、寛永14年(1637)、83歳で没しています。


 阿茶局墓(石造宝篋印塔)は、総高363.1㎝、安山岩で作られています。塔身正面には『雲光院伝従一位尼公』、左右側面には阿弥陀三尊の種子が刻まれている。上基礎正面には『正誉周栄大姉 寛永十四年 正月廿日』との刻銘がある。

 江戸時代の貴重な石塔として、江東区指定有形文化財・建造物となっております。


 〔参考文献〕
  江東区の文化財 2 深川寺町界隈                      江東区教育委員会


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事