日本史跡研究会 日々の徒然(埋もれた歴史を訪ねて)

全国各地の埋もれた史跡をご紹介できたらと思います。研究会イベントも年数回開催しますので、コメントいただけたら幸いです。

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    【関東郡代屋敷跡】      評価  

  別   名:    馬喰町御用屋敷
  所 在 地:  中央区日本橋馬喰町2−7
  築城年代:    明暦3年(1657)
  築 城 者:     伊奈忠治
  区   分:      屋 敷
  現   状:     校有地など


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 明暦3年(1657)、明暦の大火で焼失した江戸城常盤橋御門内の屋敷に替わり、この地に新たに関東郡代・伊奈忠治の江戸屋敷として築かれた。

 関東郡代は伊奈熊蔵忠次以後十二代に亘って伊那氏が務め、関八州の天領を管轄し、年貢の徴収・水利・新田開発などにあたっています。

 千住大橋(忠次)、備前堀(忠政)、利根川・新川・荒川の開削(忠治)、幸手・葛西用水の開削(忠克)、両国橋修築(忠常)、永代橋架橋(忠順)等々、関東郡代・伊奈氏の功績は数多くあります

 また、宝暦4年(1707)、七代・忠順は富士山噴火の際、復旧工事や被災者救済に尽力。天明7年(1787)、十二代・忠尊は天明の大飢饉に端を発した江戸打ちこわしの際には、諸国から米を買い集めて江戸市中に大放出するなど民政家としての伊奈氏の評価は高い

 ですが、寛政4年(1792)、伊奈忠尊は養子問題(忠尊は十一代・忠敬の養子となり、伊奈氏を継いでいましたが、その後忠敬に実子・忠善が誕生したことから家督争いが起こります)や自身の不行跡、家内不始末を理由に関東郡代を罷免され、伊奈氏は改易された。

 この背景には伊奈氏の権威を阻みたかった幕府の思惑もあったようです。しかし、伊奈氏歴代の関東郡代としての勲功は大きく、幕府は十七歳の伊奈忠盈に名跡を継がせ、武蔵國秩父・常陸國信太郡内に1000石を与えられ小普請に任じられ、旗本として存続しています。

 伊奈氏が改易された後の関東郡代屋敷ですが、勘定奉行・久世丹後守広民が関東郡代を兼務し、その役宅となりました。

 文化3年(1806)、焼失したことによって廃されましたが、文化14年(1817)、代官持ちの馬喰町御用屋敷が設置されています。


  〔参考文献〕
   中央区 歴史・観光まち歩きガイドブック                 中央区
   伊奈町史 別編 伊奈氏一族の活躍                   伊奈町
 



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