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宇治川の先陣競い
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 源平の戦い(1184年頃)で源氏側の佐々木四郎高綱の乗る名馬「生唼(いけずき)」と、梶原源太景季の乗る名馬「麿墨(するすみ)」とが武勇・智謀を競いあい、宇治川の先陣を競ったという話はあまりにも有名であり、両馬は対州馬であったと言い伝えられて居る。
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左:生唼                                 右:麿墨
 
 生唼は豊玉町廻の池田、麿墨は上県町田の浜から出た馬と伝えられて居る。
 生唼は朝伊那に行き、麿墨は夕に池田に来るというように、相いなないて往来したという。
 これを朝草・夕草と言うと「対馬島誌」は古老の言い伝えを記している。
 
 しかし生唼・麿墨については諸説あり、断定出来うるものではないが下記も言い伝えとして残っている。
 ①:青森県三戸産が麿墨・七戸産が生唼
 ②:石川県能都産が生唼
 ③:鹿児島県指宿市池田湖畔産が生唼
 
  引用        対馬の庶民誌
 
 ※今月の3・4・5日で対馬市へ「朝鮮通信使」と「対州馬」の取材へ行ってまいりました。
 「朝鮮通信使」に関しては県立対馬歴史民俗資料館で、国の重要文化財である「宗家文庫」より、冊子目録から「岡崎宿」についての新たな文献の発見を求めて、2日間読みあさりましたが残念ながら見つける事は出来ませんでした。(朝鮮通信使が岡崎宿に泊まった折、必ず家康の先祖8代の墓所がある大樹寺に参拝してから、江戸へ下向したとの記録探し)
 また、町の書店の「朝鮮通信使」のコーナーで、2時間立ち読みしましたが、「岡崎宿」について詳しく書かれたものはありませんでした。
 「対州馬」の取材に於いても、5日に体験乗馬をしようと思った「馬事公園」が、木曜日定休(当日の天候は雨)で乗る事は出来ませんでしたが、その分上県地域活性化センター地域支援課課長補佐 豊田様が対州馬のいる放牧地や、飼養5ヶ年計画地を雨にも関わらず親切に案内してくださり、また貴重な資料を沢山揃えて頂きました。
 有り難うございました。
 本日掲載しました「対馬の庶民誌」もその一つです。
 
 対州馬の歴史・現況・将来への活性化と、対馬の歴史について今後掲載させて頂きます。
 
     鈴木純夫
 
 

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おおおおーーーー!!!これはほんとにエロイですねーーー!!たまりません!!!それでは問題の動 画をご覧ください!! 削除

2012/7/13(金) 午後 5:13 [ AKBの指原莉乃 元カレとのフェラ動画流出!! ] 返信する

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はずかしながら対馬藩主の「宗家」を間違えました。
実は、1607年〜1811年の間で、1811年を除く11回江戸まで下向した折「朝鮮通信使が岡崎宿に泊まった時には必ず、家康祖先の菩提寺で松平氏8代の墓所がある大樹寺に参拝した後に、江戸へ下向した」と言う情報が入ったためご指摘頂いた「海游録」をはじめ手当たり次第に「朝鮮通信使」の本は読みましたが、記録が無いためにもしかしたらの思いで対馬まで行った次第です。
情報をお持ちであれば、コメント頂ければ幸いです。

2012/7/13(金) 午後 10:59 [ 三河馬 ] 返信する

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