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小箱作りに挑戦する参加者の表情も緊張そのもの。 完成すると、このような小箱に。 《仏教文化と三条仏壇》 新潟県に入り、国道8号線を三条市から新潟市に向かって走りますと、合併で現在新潟市となりましたが、旧白根市内の沿道に、仏壇や墓石を製造、販売している大きな店が立ち並んでいます。 これは、仏壇が工場生産されるようになってから急成長したもので、元来、仏壇の製造は寺院と深い関わりを持っています。三条市は、まだ、位置やどのような輪郭だったのか分かっていませんが越後の歴史資料にたびたび登場する中世三条城、そして江戸時代のはじめに破却される近世三条城など、城下町として発展してきました。近世三条城と城下町は、現在の三条市の旧市街地の姿の中から概ね想像できる状態です。 三条市には、中世から史実に現れる日蓮の教えに基づく、法華宗陣門流総本山本成寺がありますし、時宗寺院乗蓮寺もあります。もちろん、禅宗、真言宗寺院なども。そして、三条城が破却されてからは、商工の町として発展。心のよりどころは、仏教文化に負うところが大きくなりました。合併前の三条市で、60カ寺を数えたことでも、仏教文化の隆盛振りがうかがえます。 浄土真宗大谷派三条別院が、越後の末寺を取り締まるために、東本願寺掛所として、三条市の現在地に創建されたのは元禄3(1690)年のことです。以後、門前は町をなし、旅籠なども立ち並び、越後でも屈指の賑わいを見せるようになりました。 当然、掛所の建設とあわせ、京都から、仏壇などを作る職人が訪れ、生業として定着しました。それが、三条仏壇の始まりと伝えられています。昔ながらの手作りの高級仏壇を生産してきたことから、戦後の仏壇製造の流れに乗れず、白根の業者や県外の業者になどに顧客を奪われ、ややもすると衰退してきました。 しかし、近年、時代が落ち着くに連れて、本物志向も根強くなり、伝統工芸品の認定も受けて、三条仏壇が、地域の需要に応えています。そうした中で、地域貢献の意味も含め、三条仏壇をもっと市民に知ってもらおうと、三条鍛冶の伝承、PRを主たる目的とする「三条鍛冶道場」を会場に、さまざまな講習会を開いています。今回の小箱作りについては、地元紙「越後ジャーナル」に詳しいので転載させていただきます。 《地元紙「越後ジャーナル」紙より転載》 三条鍛冶道場では、「三条仏壇の技に挑戦!」と題し、経済産業大臣指定伝統工芸品に認定されている「三条仏壇」の製作技法を用いて、小箱を作る講座を開講。全3回で、仏壇組合員指導のもと、1月27日、第1講が開かれ、小箱の枠と引き出しを作った。 同組合では、これまでも、キーホルダーと鏡付きケースを作る講座を開いており、好評を得ている。今回は定員28人を上回る31人の応募があり、初回の27日は、午前、午後に分けて製作した。 午前の部は小学生から年配の人まで15人が参加。伝統工芸士などの組合員5人が指導にあたり、小箱の枠と引き出しを組み立て、下地づくりとして着色した。同組合では「おかげ様で毎年、参加していただいている人も多い。今回はレベルアップして、小箱にした」と話す。 小箱は3段の引き出し付きで、通帳などをしまうのにピッタリの大きさ。初回は木地づくりをし、2回目は、「もみじ塗り」など自分でデザインしたものを塗る。最終回は磨いてツヤを出す「すり漆」を行い、完成となる。 参加者は、組合員をつかまえ「先生、ここはどうしたらいいんですか?」などと聞いたり、手伝ってもらったりしながら、板を切ったり、やすりを使って角を落とす面取りをするなど作業を進めた。 参加した女性の1人は「キーホルダーづくりから、ずっと参加している。キーホルダーはずっと身に付けているし、鏡は茶の間に置いている。仲間が来た時、『自分で作ったんだよ』などと言うと話がさらに弾む。自分で作ったり、デザインするのは大変だけど楽しい。受講するようになってから、毎日お参りしている仏壇に対する見方も変わった。伝統工芸品に興味が出てきた」と笑う。 三条市立裏館小学校6年生の女の子は「前回も出たけど、今回はちょっと難しい。削るのが大変だった」と話していた。
第2回は2月の第2土曜、第3回は第4土曜に行う予定。 (廣川) |
三条の職人
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鍛冶道場でこんな教室も開かれているのですね。
三条仏壇、聞いた事はあっても仏壇というと白根が本場だと思っていましたから。
伝統工芸を伝える、参加者も多くいるようで嬉しいことです。
kodaizinさんも参加されたんですか?
2008/1/31(木) 午後 3:13
ニリンソウさん、仏壇組合には、僕の古くからの知人も多いので情報があるのですよ。さすが、三条の女性、突込みがいいですね。
2008/1/31(木) 午後 3:27