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信さん、けいさんのブログを訪問していて、俳句の難しさ、奥深さに改めて感銘を深くしている矢先、三条俳句作家連盟(佐藤伊久雄会長)の機関誌「雪椿」第205号が手元に届きました。
また、地元紙「越後ジャーナル」にも発刊のことが書かれていましたので、記事は転載させていただくとして、重複を避けながら、1、2思うことを書いてみようかと思います。もちろん、俳句に関しては全くの門外漢ですので、見当外れも甚だしいでしょうが、お許し下さい。
まず、信さんが、ブログに、俳句結社のことについて触れておられ、そこに飯田龍太が解散した俳句結社「雲母」のことなどに触れておられ、遠い昔のことですが、雲母同人などから、解散のことをお聞きした日が懐かしく思い出されました。
三条、燕地区では、石井健作さんが中心になって、女流作家として、雲母でも注目された高橋寛子さんら、現在も、三条俳句作家連盟に名を連ねている本宮哲郎さん、宮島昭質さんなど、メンバーは少なかったのですが、なかなか気合の入ったグループでした。部外者の僕も闇鍋にお招きいただいた日が懐かしく思い出されるのです。
その本宮哲郎さんが、師飯田龍太の死に際して詠んだ、次の一句を、雪椿年刊合同句集第31号に投句しておられ、それを今回の雪椿第205号に、宮島昭質さんが、選んで紹介しておられました。
連山に二月のひかり龍太逝く
宮島さんも同じく龍太を師と仰いでおられたはずで、本宮さんの句に次の言葉を添えておられます。「端然とした着物姿の面影、作者が訪問された折りの写真が思い浮かぶ。大きく展かれた『連山の二月』心より畏敬される祈りにも似た思いが、ひしひしと伝わる」と。
宮島さんは、龍太、本宮さんに近く、分かて書いておられるので、文章からだけでは、分かりにくい部分もありますが、とにかく、本宮さんが、龍太の死を悼んでいる思いが、伝わってくる句です。2月の晴れた日の連山は、白雪を抱き、大パノラマのように展開します。
越後ジャーナル紙の紹介記事は次のとおりです。
雪椿205号発刊
三条俳句作家連盟(佐藤伊久雄会長)は、このほど機関紙「雪椿」第205号を発刊した。
表紙は、難波和敏さんが描いた干支にちなんだ鼠の「京都府土鈴」が飾り、表紙裏の「句碑を訪ねて」では、元会長の故荒井夢白路さんの自宅庭に建立されている句碑の「燃え尽きるまで籾殻は火を見せず」という、農家でなければ気付かない日々の暮らしに裏打ちされた名句が飾っている。
佐藤会長の巻頭言は、秋元不死男が、昭和29年2月号の「俳句」誌上で提唱した「俳句は『もの』に執着する詩であり、『もの』に執着しなければ崩れてしまう」という考えについて、「『もの〈物〉』は『こと〈事〉』を対照にしている」との考えを示し「『もの』に即(つ)いて本体をしかりつかめば『もの』の本体に伴う連想が浮かびあがり、『こと』に即けば、その説明に終り、説話的、かつ概念的になる。だから『もの』に執着するのである」と、説き起こして、俳句の要諦を示している。
「雪椿集抄出」のトップを本多木賊さんの「冷まじく仏の千の手が襲ふ」が飾っている。佐藤会長は「妻に取る隣の席へ冬帽子」と妻へのさりげないいたわりの心を詠っている。内山静尚さんは「なき父の下駄履いて出て落葉焚く」、久和原賢さんは、ちょうど今頃の月のことを言うのだろうか「病窓の冬三日月の反り加減」と詠う。
多士済々の同会だけに、味わって読もうとすると、わずかの時間では足りない。
俳誌「麓」などの同人、水野宗子さんの作品鑑賞「雪椿集」は、よい水先案内人として、短い評の中に、鋭い観察眼をのぞかせている。
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なるほどと思うばかりです。
2008/2/16(土) 午前 0:01
近くであろうと、遠くであろうと、学ぶべき師は多いといつも感謝しています。常々教えをいただく師を求めて止みません。舜華先生にめぐり合えたことも、天の采配です。感謝申し上げます。
2008/2/16(土) 午前 6:13