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《本多木賊さんの句について》
転載させていただいた地方紙「越後ジャーナル」の三条俳句作家連盟の機関誌「雪椿」第205号の発刊の記事中、 「『雪椿集抄出』のトップを本多木賊さんの『冷まじく仏の千の手が襲ふ』が飾っている。」という一文がありました。
僕も、何気なく読みとばしたのですが、「難しい俳句だな」と思い、水野宗子さんの「雪椿集作品鑑賞」の寸評を掲載させていただきます。理解の一端に役立てていただければ幸いです。
水野さんは、同誌の「プロフィール」によれば、「麓」「狩」「かまつか」同人で、柏崎刈羽俳句連盟会員、新潟県俳句作家協会会員、現代俳句作家協会新潟県副会長で、新潟県俳句作家協会賞、新潟県芸術祭賞、かまつか賞、麒麟草賞、麓賞、狩評論賞を受賞されているそうです。
僕はお会いしたことはありませんが、今回の作品鑑賞で取り上げた50句あまりの文章を読ませていただいて、よくありがちな作品の説明に終わらず、作品の世界をより広く、深く感得させてくださる文章だと思って、あえて、難しい本多さんの作品の鑑賞文を紹介させていただくことにしました。
冷まじく仏の千の手が襲ふ 本多木賊
千手仏や千手観音のそれぞれの手には、それぞれの役目があるのであろうが、その慈悲深い仏の手を冷まじいと感じ、千の手に襲われるような思いとは、人間の持つ脅迫観念のせいであろうか。巧みな句である。
以上ですが、これだけでもまだ、僕には十分に理解はできませんが、みなさまはいかがでしょうか。
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また、難しい句の鑑賞を提示しましたね。
「佛の千の手」とは言うまでもなく「千手観音菩薩」を指しているのでしょう。
千の手とは多くの衆生を救済すると言う慈悲の謂われからすると、この句は「千の手が襲ふ」と言う逆の発想です。
救済される人間の心に宿るであろう疑念のようなものを観念的に訴えようとしたものか、蜘蛛の巣のような千の手を持つ観音像に触発されて発した「襲ふ」や「冷やまじさ」なのかも知れませんね。
一般的に言うと、この句は独創的ではあるが、難解句の部類にはいると思います。
2008/2/18(月) 午後 4:31
奈良、京都などへ行き、あるいは上野の博物館などで、さまざまな仏像を見てまいりました。どこの仏も、直接、表情を拝見すれば、いずれも美しく、脅迫観念など微塵も感じません。もともと、僕は、子どものころから蜘蛛が好きで、野原で大きく綺麗な蜘蛛を獲って来ては、数日、箱の中に入れて眺めていましたから。ただ、足の多い昆虫などが嫌いな人は少なくないですね。千手観音と思わなければ、確かに奇形かもしれません。しかし、「襲われる」となると、作者の心のうちに「何がある」のでしょうか。まさかですが、怪獣に見立てていたり、奇をてらう言葉だけでなければいいのですが。さあ、この句の前で、いまだ何も解けません。さらに検討を。
2008/2/18(月) 午後 7:30