|
《「大漢和辞典」を編纂した偉大な漢学者諸橋轍次博士の生家も雪の中》 三条市教育委員会のHPより ■諸橋轍次記念館紹介 【諸橋轍次】 生涯を通じて、漢学研究に情熱を傾けた諸橋轍次博士は、明治16年6月4日、下田村に生まれました。東京高師卒業後、都内の大学教授を経て、戦後は都留文科大学学長に就任。この間50余年にわたり儒学を研究、大漢和辞典編さんという偉業を成し遂げました。 昭和40年には文化勲章を受章。昭和57年12月8日、100歳で亡くなるまでに遺した数々の著書や書跡、日記等からは博士の自愛に満ちた人柄が偲ばれます。文学を愛し、郷里をこよなく愛した博士は、今なお住民に深く敬慕されています。 五十嵐川が長い年月かけて削りだした河岸段丘。庭月地内の河岸段丘の上に、諸橋轍次博士の生家が、今も大切に保存されています。諸橋博士は、晩年まで、ふるさとをこよなく愛し、夏にはこの家に帰って過ごされました。地域の人たちが、庭の草などを刈って、諸橋博士を迎えていました。 合併前の下田村で、諸橋博士を顕彰して建設した「漢学の里」の案内板です。
読み安く、大きく拡大してみました。
諸橋先生の直筆です。止軒は諸橋先生の号です。 漢学の里では、2月いっぱい、地元の子どもたちの書道展が開催されています。 |
文学新潟県央地域
[ リスト ]



いつも大漢和は手元にあってお世話になっています。大きくて字を引くのが面倒なのですが、でもやはり最後はこれに限りの感があります。本当に尊敬し、頭の下る思いがします。良い写真をありがとうございました。
2008/2/21(木) 午後 11:49
舜華先生、とても、僕は買い置きできないので、三条市立図書館で、利用させていただいています。中国人も、今ではこの大漢和辞典がなければ漢字の意味が分からないと言われます。1度、仕事の半ばで焼けて、2度目の挑戦で完成したと聴くにつけ、諸橋先生の偉大さに畏敬の念を禁じ得ません。下田村を訪ねて田舎だと感じて帰られる人もいるよですが、偉大な人が意外と寒村から輩出するのは、世界共通のこと。幼いころに雄大な心の基礎が築かれるのでしょうね。記念館などなかたころから、この場所を訪れるたびに、八木ヶ鼻の絶景、四季の粟ヶ岳を眺めて育った先生の心の大きさを知ることができます。
2008/2/22(金) 午前 0:10