|
《titibu212000さんのブログ「私の武蔵国歴史考」拝読》 きょう2月23日は、久しぶりに朝から、しなければならない予定はなにもなし。ところが、忙しい時には、「時間があったらあれもしなければ、これもしたい」と思っていることをすべて忘れて、朝8時過ぎまで眠りこけました。 さて、ブログに向かって、ようやく、悪質コメがなくなって、新しい投稿をしなければ、いわゆる「自動巡回」の意味もない来訪者もほとんどないので、ゆっくりと、安心して、来訪者履歴を開いて、訪問いただいたブロガーのブログに目を通しました。 そして、初めて来訪いただいた、titibu212000さんのブログ「私の武蔵国歴史考」にめぐり合い、最新の投稿を読んで、これは平易な文章で、考古学に関心があり、関東の古墳や国分寺跡なども時に訪ねてきた僕には、中味も参考になると、まず、ゲストブックにコメントを入力させていただき、これからも訪問させていただきたいと、お気に入りに登録。 ところが、投稿した記事の数が、7ページ、35なので、気になって、最初の投稿記事から追って読み始めました。関心が高まるとよくすることですが。 武蔵国の地形の成り立ちから説き起こし、石器時代は触れておられないが、縄文時代の遺跡分布、弥生時代、古墳時代と、遺跡の分布から人口や農業の形態など想定、神話の時代を経て、奈良・平安時代の国の姿、そして平将門の乱などの時代へと、武蔵の歴史を噛み砕き、それでいて、きっちりと出典を明らかにしながら紐解いておられました。まるで、中学校か高校の教科書でも読むような感覚にとらわれました。 途中、遅い朝飯を食べたり、寝すぎてもまた睡魔に襲われて、うとうとしたり、昼間の風呂に入ったりはしましたが、とうとう、半日を、titibu212000さんのブログ「私の武蔵国歴史考」を拝読するのに費やしました。 天気予報は午前中曇りといいますが、空はいつ雨が降り出すか分からない雲行き。まだ、少しは雪も残っていて、遺物の表面採集に出かけるのも億劫だったせいもあるのですが、久しぶりに、体系だった歴史の考察に触れて、越後・蒲原の同じ時代の変化と合わせ、考えながら読み進むことができました。 こんな1日もあっていいなと、いま、昨年暮れ、最後の表面採集の折に、採集しながら飲もうかと思って、スーパーで買い求めながら、そのまま、封も切らず冷蔵庫に入れっぱなしになっていたコカ・コーラ(歩きながら飲むわけですから、残念ながら瓶入りではありません)を出して、風呂上りで乾いた喉を潤すのに飲んでいます。 午後3時、窓ガラス越しに、外の白濁した光を眺めています。 |
歴史一般
[ リスト ]





kodaizinさんよい日を過ごされましたね
うらやましいです
私もできればそんな一日を過ごしてみたいです
2008/2/23(土) 午後 8:56
熱心に読んでもらって感激しました。ただ文字がびっしり並ぶだけのブログなので、読む人はいないだろうと思っていましたが・・。
だいぶ先になりますが、室町時代もとりあげたいと思っています。この時代は、鎌倉公方と上杉管領の抗争が延々と続きますが、両者の抗争があんなに長引いた最大の原因は越後上杉家の存在があったからだと思います。
越後勢が関東に出兵することを、当時は「越山」と言っていました。越後上杉と山内上杉とは縁戚でしたから当然といえば当然なのですが、越後の人々にとって、関東出兵は何の利益にもならないのによく越山しています。そういうことをふくめて参考になることを教えていただければ助かります。よろしくお願いします
2008/2/24(日) 午前 7:57 [ yamanoi ]
kanoさん、これもブログをはじめたお陰だと感謝しています。少し本を読む時間が減りましたが、それに勝るとも劣らない、多くの、真摯なブロガーの皆様にめぐり合える醍醐味ですね。
2008/2/24(日) 午後 1:03
titibuさん、こちらこそ、労作を、いながらにして拝読させていただき、ありがとうございます。関東は、古墳時代から越後と切っても切れない関係にあります。もちろん、それ以前はもっと深いつながりがあったものと想像されますが未解明の部分も多いようです。越後は、北陸、東北、関東と文化交流の坩堝です。それだけ分からないことだらけでもあります。謙信の越山の歴史は、武田信玄との攻防の歴史でもあり興味深いですね。
2008/2/24(日) 午後 1:10