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《水草の局伝説の地、坪根より、平安の土器片採集》 東京の歴史愛好家の篤志と坪根集落全12世帯の尽力で、建設された水草の局の墓。もともと、坪根の招魂碑が建てられ、水草の局の墓と伝えられていた場所。 旧中之島町坪根周辺の地図に、遺物採集地を指示してみました。 6月14日、若月家北の排水路より発見の土師器片 6月21日、同所の数メートル下流で採集の土師器片 6月21日、坪根集落の真南外れの堤防下より採集の須恵器片の表 同須恵器片の裏 この地図で確認していただくと分かりますが、猿橋川の流れは、坪根周辺で大きく蛇行していました。旧中之島と長岡市の境界を示す一点鎖線が昔の流路で、多分、現河川の周辺に昔の人びとが住んでいたろうと予測しながら、住宅裏の畑に行きましたら、ドンピシャリ、須恵器片を発見しました。古い境界線は、地形を考える上で多くの示唆を与えてくれます。 とにかく、京の都を落ちてきた平氏の池大納言頼盛とその后、水草の局の伝承が同地域並びに周辺の集落に根付いているなかで、中之島でも古村と伝えられてきた坪根集落。 遺物の出土では、いまのところ、古墳時代前期の土師器が採集された品ノ木、高畑などの集落が古いことが確認されています。 この坪根集落から、微量ですが、土師器片、須恵器片が採集され、少なくとも、人びとの進出が平安時代まで遡れることは、同村に池伝説が伝承されてもおかしくない物証として貴重です。これを手がかりとして、今後も調査を進めていきたいと思います。
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いつも拝見させていただいております。地域密着の考古学ですね。水草の局の伝承とはどんなものでしょうか。
2008/6/22(日) 午前 9:47
こちらの斎宮跡の発掘もいま行われています。
国の史跡なので丁寧に手作業で掘らなければならず大変なようです。
掘れば何かが見つかると意気込んでおられます。
2008/6/24(火) 午前 10:51
はじめして。地元のお話がたくさん載っているので
興味津々で読んで言います。知らないこともあったので、
時間を見つけて探索に行こうと思います。
品ノ木は地元でボンノキと読んでいますが、歴史的呼び名はホンノキで良いのでしょうか?
また、中之島地域は戦国時代は山吉氏の支配下だったのでしょうか。ご存知でしたら、教えてくださるとありがたいうです。
2008/6/29(日) 午前 8:58 [ ifm*5*2 ]
度々、失礼いたします、アドレスが載ってしまいましたのでコメントを削除していただけまでしょうか。
2008/6/29(日) 午前 9:16 [ ifm*5*2 ]