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《中之島地区の中野東集落、西の水田、畑の圃場整備現場から古墳時代などの遺物》 中之島地区、中野東の集落の西側で行われている圃場整備事業現場から古墳時代から近世までの遺物が採集された。緑色の〇で指示。 同集落の善正寺の南の水田より採集の古式土師器片、高坏の破片か。 水田の土砂をブルで押した土の塊から採集。奥は土砂を盛り土した新しい畑。 さらに南の盛り土した道路より、赤色の土師器片が、微細ながら多数採集された。古墳時代と見られる。 盛り土された道路。 南側の畑が多かった一帯の土を盛り土した場所や、排水路掘削土の中から、土師器片や須恵器、近世陶器片などを採集。奈良・平安時代と近世の遺跡が存在した可能性がある。 遺物を多く含む盛り土。 地元農家の話では、いずれも、圃場整備に伴う周辺の土で、他地域からの搬入土はないという。
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こんばんは。この度もとても興味深く読ませていただいております。善正寺は私の実家の墓がありまして、このお盆にもまた行きます。このお寺の苗字は中之島に1件だけでしょうか?とても変わった苗字なので子供の頃から気になっていました。最近調べてみたら、公家の流れのようですが、どうなのでしょう。
平家のなんら関わっているのでしょうか。
(親戚の田んぼにも何か眠っているかもしれません。
ワクワクします。)
ところで上沼北西の元屋敷とは誰が住んでいたのですか?
中之島は信条、中之島、上通と今は3地区に分かれており、特に中之島本村地区は信条地区とあまり交流がなく歴史の知識に乏しいので、教えていただけるとありがたいです。
2008/8/1(金) 午後 11:40 [ ifm*5*2 ]
こんなに沢山の土器の破片があるとは凄いですね。
沢山すぎます〜 古代の生活を想像したくなります( ̄ー ̄)ニヤリ
2008/8/2(土) 午前 7:25
ifm1572さん、元屋敷は、地元の人の話では、皿や碗などがたくさん出たのだそうですが、圃場整備が終わった後、表面採集をしましたが、平安時代の土師器(低温で焼いた赤みを帯びた軟らかい土器)市か拾えませんでした。元屋敷と言う名前は中世的ですが、今のところ、昔、上沼の人たちがそこに住んでいて、いつの時にか、現在の集落に移って来たと言います。ただ、現在の上沼の集落は、平安時代に開け、その後、中世の人びとが移住してきたようです。謎が多いですが、早くから開けていたのですね。返事が遅れてすみません。
2008/9/17(水) 午前 3:57