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中之島地区の図書館に電話で問い合わせたがなかったので、見附市図書館に寄ったのだが、職員に尋ねたところ、同図書館にもなく、釈迦塚町の町民に電話を入れて地元で保管されているというのを確認してもらった。何でも、年1回、8月17日の釈迦堂のご本尊ご開帳の日に公開展示しているだけという。 それは止むを得ないことだが、相手の方がどんな方かと、電話を替わってもらい、直接、お話した。時間があれば遊びに来て下さいということで、小1時間、ゆとりもあったので、早速、釈迦塚町へ。 ところが、僕は記憶になかったが、相手の方、いまはAさんとしておこう、Aさんは、僕を知っているという。なんでも、すでに5、6年以上前になると思うが、僕が、見附市三林地区の圃場整備事業に当たって、圃場整備事業の行われる前と後に、三林地区と貝喰川を挟んだ十軒(地名)地区を表面採集していた折に、僕に会っているという。 表面採集中に、地元の方を見掛けると、よく声を掛けて土地の様子をお聞きするので、その際も、そんなことだったのだろうか。 Aさんは、電話を聞いたとき、すぐ僕だと分かったという。僕のこのブログを訪問されているし、見附市在住の郷土史家で村山半牧研究の第一人者Mさんとも旧知の仲という。郷土史の話などをうかがいながら、釈迦塚も明治の耕地整理や今回の平成の大圃場整備事業で、地形がまるで変わったと、話してくださった。 僕も、釈迦塚地区は随分と歩いた。市史などに掲載されている写真以外では、釈迦塚の古絵図は見ていないが、Aさんの話は、僕が歩いて確認してきた遺跡の存在とほぼ一致する。そして、地域の人たちが苦労して編纂・発行した浅野家文書を中心とした郷土の歴史研究をまとめた「開村400年 釈迦塚の歴史」を譲っていただき、「世間は狭いし、知らぬは己ばかりなり」と、改めて、人と人の縁の不思議に思いを馳せて、おいとました。雪の消える頃に、ぜひ一度、釈迦塚から三林に掛けて、一緒に現地を歩いていただきたいとお願いするのだけは忘れなかった。 |
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