越後・蒲原平野の歴史と文化

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《燕市教委埋蔵文化財担当者から丁寧なご返事》

先日、ブログアップした燕市館野地内の上徳遺跡についての表面採集の結果について、燕市教委の埋蔵文化財担当者に報告させていただきましたが、さっそく、現地調査され、概要、以下のようなご返事を頂きました。

早速に採集箇所等連絡いただき、ありがとうございました。
本日(6月15日)、現地を確認してきました。

確かに排水路や道路が再整備されていました。多分農政関係なんでしょうが、工事の際に埋文で立ち会いはしていません。

現地を確認した結果、おっしゃるとおり、土師器片、須恵器片を採集しました。そこそこの量がありました。時期は9〜10世紀前半くらいと思います

遺跡は、上徳遺跡だろうと思います。
遺跡分布図で示されているのは「三角田遺跡」報告書の場所で、範囲はかなり広い。しかし、地名は「舘野字上徳」です。おっしゃる通り、地名と場所が一致しません。

今回の表採地付近の現在の字名は「舘野・西」です。舘野集落を挟んで東側は「舘野・東」となっています。
「上徳」という地名が一切どこにも現われて来ないのです。どうやら、過去にはあったが、いずれかの時点で字名を変更した模様です。

遺跡分布図に示されていた上徳遺跡の確認調査を行ったことがありますが、すぐに砂層になって遺物は出土しませんでした。よって、上徳遺跡の位置を誤って地図上に記載している可能性があります。

舘野クリーンセンターの増設について、現センターの東側、休耕田の部分ですね。後でよく確認します。

情報提供ありがとうございました。


以上の内容で、表面採集の成果が、燕市の埋蔵文化財調査に役立ったようだ。
今後も、ボランティアの気持ちで、燕市の遺跡調査に協力していきたい。

なお、近年、小字名が消えている地域が多くなっており、60代でも、もう分からなくなっている。特に中世の遺跡を探す上で、小字名が重要なだけに惜しまれるし、度重なる圃場整備事業(昔は耕地整理と呼んでいたが)で、往時の地形の面影が消えているだけに、今後の遺跡調査が難しくなっていくことが危惧される。

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こんにちは〜!!
ボランティアでの遺跡調査協力、素晴らしいですね!
埋文の知識がある方にしかできないボランティアですので、燕市のためにもぜひ続けてあげてくださいませ♪

2011/7/30(土) 午後 2:07 臣(しん)


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