|
Kanoさんが、いま、岐阜県各務原の山田寺(さんでんじ)遺跡から出土した古代寺院のものと見られる軒丸瓦の研究に取り組んでおられます。 僕の知識では対応してあげられませんが、ここに、長岡市(旧寺泊町)の横滝山廃寺跡から出土した軒丸瓦の拓本を、手元にある寺泊町史資料編1「原始・古代・中世」のなかから、写真を撮影して添付します。 佐渡の小泊窯で焼かれた軒丸瓦は、先般、佐渡旅行の際に、佐渡博物館で撮影してきた軒丸瓦をすでにブログにアップしてありますので、そのページ http://blogs.yahoo.co.jp/niigata33_rekiken22/4591218.html を覗いてもらいたいと思います。 なお、寺泊町史は、軒丸瓦について、概要次のように紹介しています。 いずれも楔形の間弁をあらわす高句麗系の単弁8弁蓮華文の軒丸瓦であるが、文様は異なっている。 1の瓦当部はほぼ完形で、直径18Cm 、弁区径13Cm、弁幅2・5Cmである。蓮弁の弁央には細い稜線が通り、弁端は反転し、弁間には楔形の間弁をあらわしている。中房は径5Cmで、蓮子は一部に欠損部があって、明確ではないが、1プラス6と推定される。外区は、幅1・5Cm、高さ1・4Cmで、周縁に一重圏がめぐっている。瓦当の裏面はナデ調整で、丸瓦部との接合方法はは不明である。 2は瓦当部の上半を欠いている。直径13・5Cmの小型品である。単弁の8弁蓮華文・弁央の稜・楔形の間弁はいずれも線的に表現されている。弁区径9・5Cm、弁幅1・5Cmである。中房は圏線で囲まれ、直径4・5Cmで、蓮子は風化して不明である。この瓦当文様は1の瓦当文様が簡略化したものと考えられている。
以上 |
全体表示
[ リスト ]





奈良時代の寺院でしょうか、素朴で大部簡略化された8葉の連弁なのでもっと古いのかと思いましたが。
2007/11/27(火) 午前 4:14
おはようございます。周辺の京田遺跡などの発掘調査が行われ、概ね8世紀から9世紀代の遺跡とされ横滝山廃寺は発掘調査などにより、白鳳様式とされていますが、大和朝廷の越後支配の過渡期から、この時期の越後の情勢がいまだに明確化されていないため、問題をはらんでいるのです。今後の研究の積み重ねに、待たなければならない部分が多いようです。
2007/11/27(火) 午前 8:03
研究などとは、とてもとてもおこがましくて言えません(・・);
ただ出土した瓦を見ているうちに気になることがあったからです。
でもkodaizinさんのご協力には感謝したします。
2007/11/27(火) 午後 10:09
Kanoさんへ。表現がオーバーすぎましたか。学習しているくらいかな。でも、kanoさんのブログ、考古学の面ではいいスタートですよ。
2007/11/28(水) 午後 1:28
上記の古代瓦の拓本を見ると、やはり高句麗系のようですが、同一瓦上で、高句麗系と百済系の両方の影響を受けているものや、その他の理由によるものもあるようなので、単純に判断するのはとてもむつかしそうです。本当に今後の資料や研究が必要となるのでしょね・・・タイヘン。
2007/12/7(金) 午後 7:50
今、ブログで、記紀も含めて、記紀以前の朝鮮半島を含む大陸からの渡来人と大和朝廷の問題が、盛んに論議されいます。僕らが習った日本史では所詮解決しない段階に入っています。それが、これからの考古学の問題でもあると思います。Kanoさんにとっては、将来にわたって解決しない課題がある方が、勉強のし甲斐がるというものでしょう。すぐに結論が出るような問題は、面白くもない。大和朝廷の成立以前が面白くなってきていますし、白村江の戦いとその前後の朝鮮など、半島の政情不安が、当時の日本列島に影響を与えていそうですね。文献の研究も進んでいますが、考古学も進めて行けば、新しい学説に行き当たるかも知れませんね。興味を持って、かつ、あせらず、ゆっくりと、より現場に近いところの的確な情報を集めていくことで、やがて手応えのある仮説を組み立てることができるでしょう。1000年、1300年前の歴史を調べるのですから、20年や30年かかってもおかしくないと考えるのですが。僕にはその時間的な余裕は残されていませんが、Kanoさんには、まだ十分すぎるほどの時間と行動力があるのですから、神亀のようにゆっくりとゆっくりと。
2007/12/7(金) 午後 8:24